便衣兵処刑違法論に対する論評(3)
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/01/25 00:16 投稿番号: [8624 / 41162]
> ちなみに、虐殺現場を見た海軍軍人(後の戦史家奥宮正武氏)は後に
> このように述べています。
後に・・・ね。
> また、場合によっては長時間の間に記憶の改変が行われたり、新しい知見によって、過去に
> 確認した事実の解釈が合理化されていくようなことがあるかもしれません。
(No.8184)
ja2047氏は別の投稿で、人間の認識が後の経験によって変容してしまうことをこのような表現で認めています。
奥宮氏の論述は、まず戦後の視点から、陸軍の行為は有罪であるという判断があって、国際法の解釈をそれに合わせて行っているように見えます。
残念ながら奥宮氏は、便衣兵処刑合法論の論者の主張を理解していません。
> たとえ便衣を着ていようとも、中国兵がわが陸軍部隊に捕らえられていたことになる。そうであれば、彼らを処刑することは、へーグ条約はもとより、ジュネーブ条約の違反ではないか。
この部分はまさに、
捕虜には「捕虜としての権利を持つ」捕虜と「捕虜としての権利を持たない」捕虜がいるということ、
「捕虜としての権利」は交戦者資格に依存していたということ、
交戦者資格は外形基準で判断されるという説が有力であり、外形基準を満たさない正規兵も交戦者資格を持つという国際合意も学説の合意も出来ていなかったということ、
外形基準を満たさない交戦者も裁判で有罪とされるまでは捕虜としての権利を認められるという合意は1977年ジュネーブ追加議定書でようやくオーソライズされたものであるということ、
こういった諸説諸事情を踏まえず、正規兵ならば捕虜としての権利が与えられるという固定観念に囚われた発言と言わざるを得ません。
便衣兵処刑合法説を主張する論者は、まさにこうした諸説諸事情の上に論述を展開しているのです。
> なお,同じ論者達が別の著作で、南京での便衣兵をゲリラと同一視していることにも問題がある。
についても、奥宮氏には誤解があります。
便衣兵処刑合法説論者は、「南京での便衣兵をゲリラと同一視している」訳ではありません。
便衣兵が交戦者資格を満たしていないから、国際法上の取扱はゲリラと同じになると論じているのです。
> 私の知る限り,彼らのほとんどは,戦意を失って,ただ、生きるために、軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。したがって、彼らを通常言われているゲリラと同一視することは適当とは思われない。
戦意を失っていれば交戦行為を行う者ではない、とするならば、戦意を失って敗走する軍隊は既に交戦者ではありません。
敗走する軍隊が交戦者で無いならば、これを追撃し殲滅する行為は、一方的な攻撃ということになります。
戦闘を停止し退却を始めた瞬間、交戦行為は終了し、これを追撃する行為は、非戦闘状態にある軍に対する先制攻撃となるのでしょうか?
もしそうだとするなら、全ての追撃戦は挑発されざる先制攻撃に該当し、パリ不戦条約に違反する戦闘行為となります。
あくまで、極論するなら、の話ですが。
常識的には、一旦、交戦行為に従事した以上、投降するか停戦が成立するまで、その交戦者にとって戦闘は継続しているのです。
例え軍服を脱いで武器を捨てても、なお交戦行為の最中であることに違いはありません。
この状態で捕獲された者は、交戦資格を持たない=「捕虜としての権利を持たない」捕虜なのです。
見つかってから投降を乞うたところで、「捕虜としての権利を持たない」捕虜になるだけです。
> このように述べています。
後に・・・ね。
> また、場合によっては長時間の間に記憶の改変が行われたり、新しい知見によって、過去に
> 確認した事実の解釈が合理化されていくようなことがあるかもしれません。
(No.8184)
ja2047氏は別の投稿で、人間の認識が後の経験によって変容してしまうことをこのような表現で認めています。
奥宮氏の論述は、まず戦後の視点から、陸軍の行為は有罪であるという判断があって、国際法の解釈をそれに合わせて行っているように見えます。
残念ながら奥宮氏は、便衣兵処刑合法論の論者の主張を理解していません。
> たとえ便衣を着ていようとも、中国兵がわが陸軍部隊に捕らえられていたことになる。そうであれば、彼らを処刑することは、へーグ条約はもとより、ジュネーブ条約の違反ではないか。
この部分はまさに、
捕虜には「捕虜としての権利を持つ」捕虜と「捕虜としての権利を持たない」捕虜がいるということ、
「捕虜としての権利」は交戦者資格に依存していたということ、
交戦者資格は外形基準で判断されるという説が有力であり、外形基準を満たさない正規兵も交戦者資格を持つという国際合意も学説の合意も出来ていなかったということ、
外形基準を満たさない交戦者も裁判で有罪とされるまでは捕虜としての権利を認められるという合意は1977年ジュネーブ追加議定書でようやくオーソライズされたものであるということ、
こういった諸説諸事情を踏まえず、正規兵ならば捕虜としての権利が与えられるという固定観念に囚われた発言と言わざるを得ません。
便衣兵処刑合法説を主張する論者は、まさにこうした諸説諸事情の上に論述を展開しているのです。
> なお,同じ論者達が別の著作で、南京での便衣兵をゲリラと同一視していることにも問題がある。
についても、奥宮氏には誤解があります。
便衣兵処刑合法説論者は、「南京での便衣兵をゲリラと同一視している」訳ではありません。
便衣兵が交戦者資格を満たしていないから、国際法上の取扱はゲリラと同じになると論じているのです。
> 私の知る限り,彼らのほとんどは,戦意を失って,ただ、生きるために、軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。したがって、彼らを通常言われているゲリラと同一視することは適当とは思われない。
戦意を失っていれば交戦行為を行う者ではない、とするならば、戦意を失って敗走する軍隊は既に交戦者ではありません。
敗走する軍隊が交戦者で無いならば、これを追撃し殲滅する行為は、一方的な攻撃ということになります。
戦闘を停止し退却を始めた瞬間、交戦行為は終了し、これを追撃する行為は、非戦闘状態にある軍に対する先制攻撃となるのでしょうか?
もしそうだとするなら、全ての追撃戦は挑発されざる先制攻撃に該当し、パリ不戦条約に違反する戦闘行為となります。
あくまで、極論するなら、の話ですが。
常識的には、一旦、交戦行為に従事した以上、投降するか停戦が成立するまで、その交戦者にとって戦闘は継続しているのです。
例え軍服を脱いで武器を捨てても、なお交戦行為の最中であることに違いはありません。
この状態で捕獲された者は、交戦資格を持たない=「捕虜としての権利を持たない」捕虜なのです。
見つかってから投降を乞うたところで、「捕虜としての権利を持たない」捕虜になるだけです。
これは メッセージ 8623 (nmwgip さん)への返信です.