南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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蒋介石から勲章を貰う大活躍をしたベイツ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/01/15 12:47 投稿番号: [8368 / 41162]
>「いやー、皆さん立派で軍紀が正しいことには驚きました」
>と言うようなことが載ってるわけじゃあないのだ。

「…『…秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです』と言って東京日日新聞の記者の手を握った…」ということは、そういうことだろ。


>同じ阿羅氏のインタビューでさえも。
>(以下蛇足)
>しかし、「何らかの虐殺を見聞した」と言う人は、阿羅氏の調査対象の21人の
半分に上るということが確認できます。

便衣兵の処刑。
無辜の市民虐殺なし。


>20万以上の国民の保護に功績があったのだから別に不思議ではない。

不思議だし、有り得ないことだ。
日本に協力したり、日本と仲良くした者は、自国民でも血祭りにするのが、蒋介石政権の方針だった。
このことは、「通州事件」前に通州の親日保安隊が聴いた南京政府の御用放送局が流したデマからも分かるし、戦後も日本人と仲の良い者は「漢奸」として裁かれたのだ。
俺は読んでいないが、『漢奸裁判』という本があるらしい。



●まとめ

12月15日、ベイツは、南京の金陵大学を訪れた2人の日本の新聞記者には、『…秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです』と話して記者の手を握った。
しかし、同じ日に南京に居ない知人に宛てた手紙には、『…日本軍は、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行…(略)…南京で示されているこの身の毛もよだつような状態…』と書き、また、南京を去るダーディンやスティールにも同様に民間人殺害や強姦について書いたメモを渡した。
ベイツのこの行為は、宣伝工作そのもであり、ベイツが宣伝工作員だったことは間違いない。

ベイツが知人に宛てたこの手紙は、翌年、ティンパリーの『WHAT   WAR   MEANS』(戦争とは何か)に編纂され出版された。
『WHAT   WAR   MEANS』には、この手紙の他にも12月26日付の『埋葬による証拠の示すところでは、4万人近くの非武装の人間が南京城内または城門の付近で殺され、その内の約30%はかつて兵隊になったことのない人々である。』などとベイツが書いた手紙も編纂された。

ベイツたちが、もしも日本軍の犯罪を知ったら、日本軍憲兵隊や日本大使館や日本の新聞記者などに訴えるのが安全区国際委員会としての責務だった。
それなのに、ベイツらは、そのような責務を果たさず、南京の外(上海や海外)に向けて荒唐無稽な万単位の虐殺を宣伝していた。

これらの宣伝工作が評価され、ベイツは1938年に蒋介石政府から勲章を貰った。


1946年、ベイツは、東京裁判で、「スミス教授及び私は、色々な調査・観察の結果、我々が確かに知っている範囲内で、城内で1万2000人の男女及び子供が殺されたことを結論といたします」と偽証した。
また、「安全区国際委員会の報告のみを基に強姦件数を8千件」とも偽証した。
その他にも、理解に苦しむ様々な驚くべき証言をした。

蒋介石政府は、日本の「戦争犯罪」を裁くため連合国が開廷した「東京裁判」に備え、1945年11月7日「南京敵人罪行調査委員会」を設置し、支那人に南京における日本軍の犯罪を申告するよう呼びかけたが、マトモな証人が現れず非常に苦労した。
そういう中にあってベイツ証人の活躍は凄かった。
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争への罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)を遂行中だったGHQにとっても、さぞや頼もしい証人だったことだろう。

これらの宣伝工作が評価され、ベイツは1946年に、再び、蒋介石政府から勲章を貰った。
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