遅ればせではあるが 2)
投稿者: ja2047 投稿日時: 2006/01/14 09:47 投稿番号: [8318 / 41162]
>新聞を基準に本人の真意を測るということは通常しないし、その時期の
>個人書簡が存在すれば、普通はそちらが本人の真意だと理解されると言う
>あたりまえの話をしているだけなのだがね。
>1937年12月16日付「東京日日新聞」は、ベイツのインタビュー記事だよ。
インタビュー記事が無から作り上げられたとも思えないので、記事に載って
いることについては、それに近い内容の会話が交わされたと見て良いだろう。
だが、触れられていない話題について、ベイツが何を話したか、あるいは
何を考えていたのかは、ここから知ることは出来ない。
記事から言えるのはそれだけだな。
ま、日本軍の非難だけして、他のことは一切話さなかったのならこういう
記事にはならないだろうけどね。
>12月15日、南京において目の前に居てその後も南京に留まる日本の新聞記者や同僚の陳教授には嘘が通用しないから有りの儘の事実を話し、
だから、記事からは触れられていない話題について、ベイツが何を話したか、
あるいは何を考えていたのかは知ることは出来ない。
>南京に居ない知人や南京を去るダーディンやスティールたちには大嘘宣伝工作をしたのだ。
ベイツの手記、証言はその後も一貫しており、他の難民区委員達の残した
記録とも大筋で一致する。
外国人達の共通認識だ。
「大嘘」であるという根拠はない。
個人が自分の認識に忠実に、熱意を持ってその事実と信じることを表明する
ことについて、それを普通の人間は「宣伝工作」とは呼ばない。
でりちゃんも「闘士」であるよりも先に、
まず「普通の人間」としてものを考えてはどうかな?
これは メッセージ 8317 (ja2047 さん)への返信です.
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