南京の善きドイツ人 2)
投稿者: ja2047 投稿日時: 2006/01/14 08:21 投稿番号: [8316 / 41162]
>ラーベは、安全区の自宅に、現金を一杯に詰めたトランクを幾つも持っていた支那軍将校の龍大佐と周大佐を潜伏させていたので、彼らに宣伝工作を依頼されたものと思われます。
日記によればラーベは龍大佐から「預けた金は残された負傷兵の救護のための
ものだ、協力して下さい。」と、言われている。
でりちゃんによれば、これは宣伝工作員の残した日記であり、宣伝工作として
書かれたものであるから、信用できないと言う論理になるのだろうな。
>また、当時ジョン・ラーべは、支那の蒋介石政権に
武
器
を売って莫大な利益を得ていた「軍需産業ジーメンズ」の南京支社長でした。
おなじみのガセネタなので、突っ込んでやろうと思ったが、
自主訂正してしまったようだね。
でりちゃんがこのようにして、広く振りまかれているガセネタの嘘に気付いて
いくことは大変喜ばしいことだ。
>しかし、その話はあまりにも不自然すぎて同胞のドイツ人にも信じてもらえませんでした。
ゲシュタポに拘束されて、体験談を広めないように口止めされたのだ。
>1938年1月9日に南京に戻ったドイツ大使館のシャルフェンベルク事務長は、2月10日、自分の目で実情を確かめた上で漢口のドイツ大使館に、ラーベが語る日本軍の暴行事件について、「暴行事件と言ってもすべて支那人から一方的に聞いているだけ」と書き送っています。
これについては、少しニュアンスが違う、シャルフェンベルクは
「日本人も中国人もどうせ野蛮人なのだから、一方の出来事だけ聞いて
肩入れしても、裏切られるぞ」と言う意味で発言しているのだ。
>結局ラーべの策略は実らず、ドイツに呼び戻され、二度と支那の土を踏むことはありませんでした。
今日では「南京事件」について語ることを禁じたナチスよりも、
難民の保護に奔走したラーベの方が「義の人」として讃えられて
いるわけだ。
歴史というものは後世の評価を待たなくては判らないものだね。
これは メッセージ 8315 (ja2047 さん)への返信です.
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