Re: 南京事件の国際的認識(1)
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/01/10 21:21 投稿番号: [8231 / 41162]
> 「行われている最中」にこれを皆が知ることが出来たかどうかなのです。
全く問題になりません。
要点は「国際連盟が日本の戦争行為全体を非難する決議を行っている」から「あらためてこれを取り上げることはなかった」という事実は無いということです。
貴方の論拠は根本で崩れているのですよ。
ここでお終いにしてもいいんですが、もう少しお付き合いしましょうか。
> ホロコーストやカンボジア虐殺の実態が知られたのはその最盛期ではありません。
比較の対象になりませんね。
カンボジア虐殺については国内でも、他ならぬあの本多勝一が1978年に「ハチエンの虐殺」を報じています。
これを遡ること3年、1975年5月には、映画「キリング・フィールド」のモデルになったニューヨーク・タイムズのシドニー・シャンバーク記者によるルポが、朝日新聞にも掲載されています。
(本多勝一がこのルポに対して、虐殺捏造論をぶったのは、あの人らしい笑い話ですが。)
その直後、1975年8月にはタイム誌がタイに逃れたカンボジア難民の記事を掲載しています。
ポル=ポト派がこの時点で国際社会から非難を浴びていないのは、大国間の対立の副産物に過ぎません。
少なくとも1937年〜1938年には、このような国際政治事情は存在しません。
ホロコーストに至っては、外部と遮断された密室の出来事であり、支配権を完全に確立した領土内で行われていたとされている事です。
南京とは条件が全く異なります。
> このあと、エスピーの陥落後の南京の実状報告が南京の外へ発送されたのが2月2日。
> 駐日大使ジョセフグルーが南京の大使館員に対する日本軍人の暴行に抗議したのも
> この時期になってのこと。
印象操作はやめましょう。
南京の大使館員に対する日本軍人の暴行(アリソン事件のことですか?)についてはともかく、南京における日本軍の不法行為に関するグルーの抗議に対する広田の回答は1938年1月19日に示されています。
いわゆる「南京大虐殺」(ここでは南京事件と呼ぶ方が適当か)に関するアメリカ大使の抗議は、2月以降のことじゃありません。
> 第100回理事会決議の時点では、南京事件の報告はダーディン、スティールの記事より
> 詳細な情報はまだ把握されていなかったわけです。
第100回理事会は1938年1月26日より開催されました。
マクダニエルの記事は何日付です?
アベンドの記事は何日付です?
グルーに対する回答日は?
アリソン殴打事件に対する報道はまさに第100回理事会開催中に新聞紙上を賑わしていたのですが?
貴方の引用したシャルフェンベルクは何時それを認識していたのですか?
これでもまだ「ダーディン、スティールの記事より詳細な情報はまだ把握されていなかった」と主張しますか?
おまけに、貴方の言っていることは、ダーディン、スティールの記事は国際世論を動かすだけの信憑性がなかった、ということと同義なのですが、過去の発言と随分違いませんか?
> そのあと3月以降はナチスの勢力拡大の方が大問題でしょう。
山東戦線における毒ガス使用非難決議は5月のことなんですけどね。
それに国際連盟は1939年、ソ連のフィンランド侵攻を侵略行為と非難してソ連除名を決議しています。
それからイギリスは1937年から1939年チェコ併合までナチスに対して宥和政策でしたよ?
国際社会がナチスに対する対決姿勢を強めるのはチェコ併合以降のことです。
国際連盟がナチス問題に手一杯だったという主張は、全く根拠がありません。
<続く>
全く問題になりません。
要点は「国際連盟が日本の戦争行為全体を非難する決議を行っている」から「あらためてこれを取り上げることはなかった」という事実は無いということです。
貴方の論拠は根本で崩れているのですよ。
ここでお終いにしてもいいんですが、もう少しお付き合いしましょうか。
> ホロコーストやカンボジア虐殺の実態が知られたのはその最盛期ではありません。
比較の対象になりませんね。
カンボジア虐殺については国内でも、他ならぬあの本多勝一が1978年に「ハチエンの虐殺」を報じています。
これを遡ること3年、1975年5月には、映画「キリング・フィールド」のモデルになったニューヨーク・タイムズのシドニー・シャンバーク記者によるルポが、朝日新聞にも掲載されています。
(本多勝一がこのルポに対して、虐殺捏造論をぶったのは、あの人らしい笑い話ですが。)
その直後、1975年8月にはタイム誌がタイに逃れたカンボジア難民の記事を掲載しています。
ポル=ポト派がこの時点で国際社会から非難を浴びていないのは、大国間の対立の副産物に過ぎません。
少なくとも1937年〜1938年には、このような国際政治事情は存在しません。
ホロコーストに至っては、外部と遮断された密室の出来事であり、支配権を完全に確立した領土内で行われていたとされている事です。
南京とは条件が全く異なります。
> このあと、エスピーの陥落後の南京の実状報告が南京の外へ発送されたのが2月2日。
> 駐日大使ジョセフグルーが南京の大使館員に対する日本軍人の暴行に抗議したのも
> この時期になってのこと。
印象操作はやめましょう。
南京の大使館員に対する日本軍人の暴行(アリソン事件のことですか?)についてはともかく、南京における日本軍の不法行為に関するグルーの抗議に対する広田の回答は1938年1月19日に示されています。
いわゆる「南京大虐殺」(ここでは南京事件と呼ぶ方が適当か)に関するアメリカ大使の抗議は、2月以降のことじゃありません。
> 第100回理事会決議の時点では、南京事件の報告はダーディン、スティールの記事より
> 詳細な情報はまだ把握されていなかったわけです。
第100回理事会は1938年1月26日より開催されました。
マクダニエルの記事は何日付です?
アベンドの記事は何日付です?
グルーに対する回答日は?
アリソン殴打事件に対する報道はまさに第100回理事会開催中に新聞紙上を賑わしていたのですが?
貴方の引用したシャルフェンベルクは何時それを認識していたのですか?
これでもまだ「ダーディン、スティールの記事より詳細な情報はまだ把握されていなかった」と主張しますか?
おまけに、貴方の言っていることは、ダーディン、スティールの記事は国際世論を動かすだけの信憑性がなかった、ということと同義なのですが、過去の発言と随分違いませんか?
> そのあと3月以降はナチスの勢力拡大の方が大問題でしょう。
山東戦線における毒ガス使用非難決議は5月のことなんですけどね。
それに国際連盟は1939年、ソ連のフィンランド侵攻を侵略行為と非難してソ連除名を決議しています。
それからイギリスは1937年から1939年チェコ併合までナチスに対して宥和政策でしたよ?
国際社会がナチスに対する対決姿勢を強めるのはチェコ併合以降のことです。
国際連盟がナチス問題に手一杯だったという主張は、全く根拠がありません。
<続く>
これは メッセージ 8183 (ja2047 さん)への返信です.