ベイツの嘘吐き宣伝工作は紛れもない事実
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/01/09 20:43 投稿番号: [8204 / 41162]
>「ベイツが嘘を吐いて」
の根拠がそれなのかい。
そうだよ。
当り前じゃないか。
―――――――――――――
東京日日新聞
昭和12年12月16日
空襲下の南京生活 金陵大学・米人教授に聴く
◇高物価と税金の挟撃 ”足”を奪はれた市民 宋美齢・噂の前線慰問
【南京にて若梅、村上両特派員】
記者等は十五日朝鼓楼にある有名な金陵大学を訪れた、屋上に星条旗を掲げたミツシヨン・スクールだ、ここはすでに教授・学生とも漢口へ移転して英、米、独、デンマークの四ケ国で組織された避難民救護所本部に充てられてゐる、刺を通ずると出て来たのは教授エム・エス・ベーツ氏でスマートな米国の青年学徒だ、ベーツ教授は『東日さんですか、私の子供東京にゐます、河井逍(みち)子さん、その他代議士などにも友人が沢山あります、秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです』と記者の手を握つた、そのすぐあとから支那服の老人が出て来た 『東日さんですか、私は日本に留学したものです』と流暢な日本語で語り出した。教授陳■氏だ、陳教授は明治三十八年札幌の北大農学部第一期卒業生だ、当時の学長佐藤男爵の話などそのころの日本留学生生活を懐しみつつ語つた、記者は両氏と次の如く一問一答を試みた
「戦争はどこが一番ひどかつたですか」
「中山門、光華門、通済門の各城門や故宮、大校場飛行場目がけて日本軍の空爆や砲弾の集中は物すごかつた、ここは幸ひに空襲砲撃から隔離され安全地帯だつたので夜など二階から見物したが実に荘厳でした」
「城内守備の支那軍はどの位だつたですか」
「五万乃至十万といはれ四川、広東、広西、福建の全国から集まつた兵隊です、総指揮官は唐生智です」
「蒋介石が戦線を視察したといふがその姿は見なかつたですか」
「新聞にはさう書いてありましたが日本の南京総攻撃がはじまつてからは恐らく南京にはゐなかつたでせう。宋美齢女史はなかなか活発な婦人ですから幾度も前線に慰問に出たといふ話です」
「上海と連絡を断たれてからの南京の市民の生活はどうでしたか」
「南京は戦争前は百万の人口があつたのですが、上海が陥落して連絡がなくなつてから最近一ケ月間に三分の一に減り、今避難民はざつと十万ばかり残つてゐます、・・・
(以下略)
―――――――――――――
12月15日に南京で目の前に居る記者たちにはこんな話をしていたのに、同じ日に南京に居ない知人への手紙や、南京を去ったダーディンやスティールに渡したメモには『日本軍は、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行をした』などと書いていたのだから、これが嘘吐き宣伝工作でなくて何なのか?
>南京陥落を報じる日本の新聞の記事が、全てを正確に報道したかというのは疑って
>かかるのが当然だと思うぞ。
(・人・)ほ?
この記事が捏造記事だと言い張る戦法に変更したの?
この記事は以前オマエが「南京市民の徴用が多くなかった」ことの根拠に使用した記事だ。
オマエの都合によって、証拠にしたり捏造にする訳か。
もし本当に、ベイツに【日本軍が、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行】をしていた認識があったら、記事全体が完全な捏造じゃないと不自然だ。
日本にベイツの家族や友人が沢山居たのだから、この記事のことは間違いなく日本に居た家族や友人伝わる。
記者が記事を捏造したということは有り得ない。
記事の内容を見れば解かると思うが、こんな記事を捏造したって何の効果もない。
ベイツは、12月15日に南京で目の前に居た2人の記者には事実を話し、12月15日に南京に居ない者や南京を去る者には嘘宣伝をしてたのさ。
>① 発生したすべての事件が国際委員会に通報された
逆だ。
反日撹乱工作隊や不逞支那人が起こした事件や架空の事件までもが、日本軍の仕業として実態よりも何倍、何十倍も多く国際委員会に通報されたのだ。#4949
>ま、だからといって、八千件が正確だという証明にはならないのだけど、
そのとおり。
安全区国際委員会の報告にあった強姦件数が、361件だろうが、400件だろうが、東京裁判で「安全区国際委員会の報告のみを基に強姦件数を8千件」と証言したのだから、異常としか言い様がない。
4万人虐殺を言い触らした1938年と、東京裁判で嘘証言していた1946年に、2回蒋介石政府から勲章を貰ったのも良く解かる。
そうだよ。
当り前じゃないか。
―――――――――――――
東京日日新聞
昭和12年12月16日
空襲下の南京生活 金陵大学・米人教授に聴く
◇高物価と税金の挟撃 ”足”を奪はれた市民 宋美齢・噂の前線慰問
【南京にて若梅、村上両特派員】
記者等は十五日朝鼓楼にある有名な金陵大学を訪れた、屋上に星条旗を掲げたミツシヨン・スクールだ、ここはすでに教授・学生とも漢口へ移転して英、米、独、デンマークの四ケ国で組織された避難民救護所本部に充てられてゐる、刺を通ずると出て来たのは教授エム・エス・ベーツ氏でスマートな米国の青年学徒だ、ベーツ教授は『東日さんですか、私の子供東京にゐます、河井逍(みち)子さん、その他代議士などにも友人が沢山あります、秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです』と記者の手を握つた、そのすぐあとから支那服の老人が出て来た 『東日さんですか、私は日本に留学したものです』と流暢な日本語で語り出した。教授陳■氏だ、陳教授は明治三十八年札幌の北大農学部第一期卒業生だ、当時の学長佐藤男爵の話などそのころの日本留学生生活を懐しみつつ語つた、記者は両氏と次の如く一問一答を試みた
「戦争はどこが一番ひどかつたですか」
「中山門、光華門、通済門の各城門や故宮、大校場飛行場目がけて日本軍の空爆や砲弾の集中は物すごかつた、ここは幸ひに空襲砲撃から隔離され安全地帯だつたので夜など二階から見物したが実に荘厳でした」
「城内守備の支那軍はどの位だつたですか」
「五万乃至十万といはれ四川、広東、広西、福建の全国から集まつた兵隊です、総指揮官は唐生智です」
「蒋介石が戦線を視察したといふがその姿は見なかつたですか」
「新聞にはさう書いてありましたが日本の南京総攻撃がはじまつてからは恐らく南京にはゐなかつたでせう。宋美齢女史はなかなか活発な婦人ですから幾度も前線に慰問に出たといふ話です」
「上海と連絡を断たれてからの南京の市民の生活はどうでしたか」
「南京は戦争前は百万の人口があつたのですが、上海が陥落して連絡がなくなつてから最近一ケ月間に三分の一に減り、今避難民はざつと十万ばかり残つてゐます、・・・
(以下略)
―――――――――――――
12月15日に南京で目の前に居る記者たちにはこんな話をしていたのに、同じ日に南京に居ない知人への手紙や、南京を去ったダーディンやスティールに渡したメモには『日本軍は、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行をした』などと書いていたのだから、これが嘘吐き宣伝工作でなくて何なのか?
>南京陥落を報じる日本の新聞の記事が、全てを正確に報道したかというのは疑って
>かかるのが当然だと思うぞ。
(・人・)ほ?
この記事が捏造記事だと言い張る戦法に変更したの?
この記事は以前オマエが「南京市民の徴用が多くなかった」ことの根拠に使用した記事だ。
オマエの都合によって、証拠にしたり捏造にする訳か。
もし本当に、ベイツに【日本軍が、たび重なる殺人、大規模で半ば計画的な略奪、婦女暴行】をしていた認識があったら、記事全体が完全な捏造じゃないと不自然だ。
日本にベイツの家族や友人が沢山居たのだから、この記事のことは間違いなく日本に居た家族や友人伝わる。
記者が記事を捏造したということは有り得ない。
記事の内容を見れば解かると思うが、こんな記事を捏造したって何の効果もない。
ベイツは、12月15日に南京で目の前に居た2人の記者には事実を話し、12月15日に南京に居ない者や南京を去る者には嘘宣伝をしてたのさ。
>① 発生したすべての事件が国際委員会に通報された
逆だ。
反日撹乱工作隊や不逞支那人が起こした事件や架空の事件までもが、日本軍の仕業として実態よりも何倍、何十倍も多く国際委員会に通報されたのだ。#4949
>ま、だからといって、八千件が正確だという証明にはならないのだけど、
そのとおり。
安全区国際委員会の報告にあった強姦件数が、361件だろうが、400件だろうが、東京裁判で「安全区国際委員会の報告のみを基に強姦件数を8千件」と証言したのだから、異常としか言い様がない。
4万人虐殺を言い触らした1938年と、東京裁判で嘘証言していた1946年に、2回蒋介石政府から勲章を貰ったのも良く解かる。
これは メッセージ 8182 (ja2047 さん)への返信です.