笑い納め♪でりちゃんの教えて君教室
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/12/30 08:09 投稿番号: [8063 / 41162]
>>ベイツは自分で見たと言っている。
>へ〜♪
相変わらず屁が好きなのね、でりちゃんは (^^;
>ベイツは、日本軍が挑発も理由もないのに一般市民を射殺しまくったのを目撃していたんだ?
本人はそう言ってるね。
私は撃った日本兵にしてみれば撃った本人には理由があったのだと思うがね。
>どうして、ベイツは、そのことを1937年とか1938年に、安全区国際委員会から日本大使館宛の文書で抗議しなかったの?
おおっ、また 「でりちゃんの教えて君教室」 をやらなきゃいけないのかね。
こーやって質問攻めにしてれば、どこかで「わからない」という答をせざるを得なくなるんだよな。
口の達者な小学生に「地球は丸いんだ」と教えるようなものだ。 どこかで行き詰まるかもしれんが、
まあいいいだろ。
で、安全区文書でベイツの署名のあるものはたくさんあるよ。
具体的にどれに相当するかが問題だね。
外国人の目撃内容がすべて安全区文書として提出されたわけでもないけどね。
>どうして、ベイツは、「スマイス調査」を吉田三郎さんに直接手渡した時、そのことを抗議しなかったの?
吉田三郎氏が伝えていない=ベイツがなにも言わなかった、かどうかはわからないし、
吉田三郎氏にはそのことを言わなかった=ベイツが何も見ていない、でもない。
ここで言えるのは「吉田三郎氏はそのことを言ったという記録がない」だけでしかない。
>どうして、ベイツは、東京裁判でそのことを証言しなかったの?
してるよ。
先の引用文は東京裁判でのベイツ証言の内容だ。
言いっとくが、「再審『南京大虐殺』」の記述はかなり間違いや思いこみの断定が多いので、
自分で元資料を当たらないうちは信用しない方がよい。
でないと、この間みたいに大恥を掻くことになるぞ d(^^
ちなみに、フィッチの手記にはこうある。
十三日の午前一一時、安全地区にはじめて日本軍の侵入が知らされました。私は委員会のメンバー二人と一緒に車で彼らに会いにゆきましたが、それは安全地区の南側の入口にいる小さな分遣隊でした。
彼らは何の敵意も示しませんでしたが、その直後には、日本軍部隊の出現に驚き、逃げようとする難民二〇人を殺したのです。一九三二年の上海同様に、ここでも、逃げるものは誰でも射殺あるいは銃剣で突き殺さねばならぬというのが、規則であるかのように思われました。
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/4/gtuqrf/gtuqrf.html
他の委員会メンバー二人というのが誰のことか不明だが、午後にはラーベとスマイスともう一人が
日本軍司令部と接触を試みて外出し、ここでもたくさんの死体を見ている。
これがおそらくはフィッチの目撃した市民の射殺の死体なのだろう。
午前の目撃者がフィッチの他にベイツを含むのであれば辻褄が合うが、それがベイツだったという
確証は私は知らない。
この12月13日の市民射殺については安全区委員会の抗議文書には含まれていない。
「最初の接触」による不幸な犠牲者という捉え方だったのではないかな。
そして、この時点では、それはおかしなことじゃあない。
この時点で日本軍が「不幸な事故」として形ばかりの陳謝をしていれば、それで済んだことだったと
いう気もするな。
この後で暴行が多発する事態にならなければ、「虐殺」として語られることもなかったのではないかと思う。
>へ〜♪
相変わらず屁が好きなのね、でりちゃんは (^^;
>ベイツは、日本軍が挑発も理由もないのに一般市民を射殺しまくったのを目撃していたんだ?
本人はそう言ってるね。
私は撃った日本兵にしてみれば撃った本人には理由があったのだと思うがね。
>どうして、ベイツは、そのことを1937年とか1938年に、安全区国際委員会から日本大使館宛の文書で抗議しなかったの?
おおっ、また 「でりちゃんの教えて君教室」 をやらなきゃいけないのかね。
こーやって質問攻めにしてれば、どこかで「わからない」という答をせざるを得なくなるんだよな。
口の達者な小学生に「地球は丸いんだ」と教えるようなものだ。 どこかで行き詰まるかもしれんが、
まあいいいだろ。
で、安全区文書でベイツの署名のあるものはたくさんあるよ。
具体的にどれに相当するかが問題だね。
外国人の目撃内容がすべて安全区文書として提出されたわけでもないけどね。
>どうして、ベイツは、「スマイス調査」を吉田三郎さんに直接手渡した時、そのことを抗議しなかったの?
吉田三郎氏が伝えていない=ベイツがなにも言わなかった、かどうかはわからないし、
吉田三郎氏にはそのことを言わなかった=ベイツが何も見ていない、でもない。
ここで言えるのは「吉田三郎氏はそのことを言ったという記録がない」だけでしかない。
>どうして、ベイツは、東京裁判でそのことを証言しなかったの?
してるよ。
先の引用文は東京裁判でのベイツ証言の内容だ。
言いっとくが、「再審『南京大虐殺』」の記述はかなり間違いや思いこみの断定が多いので、
自分で元資料を当たらないうちは信用しない方がよい。
でないと、この間みたいに大恥を掻くことになるぞ d(^^
ちなみに、フィッチの手記にはこうある。
十三日の午前一一時、安全地区にはじめて日本軍の侵入が知らされました。私は委員会のメンバー二人と一緒に車で彼らに会いにゆきましたが、それは安全地区の南側の入口にいる小さな分遣隊でした。
彼らは何の敵意も示しませんでしたが、その直後には、日本軍部隊の出現に驚き、逃げようとする難民二〇人を殺したのです。一九三二年の上海同様に、ここでも、逃げるものは誰でも射殺あるいは銃剣で突き殺さねばならぬというのが、規則であるかのように思われました。
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/4/gtuqrf/gtuqrf.html
他の委員会メンバー二人というのが誰のことか不明だが、午後にはラーベとスマイスともう一人が
日本軍司令部と接触を試みて外出し、ここでもたくさんの死体を見ている。
これがおそらくはフィッチの目撃した市民の射殺の死体なのだろう。
午前の目撃者がフィッチの他にベイツを含むのであれば辻褄が合うが、それがベイツだったという
確証は私は知らない。
この12月13日の市民射殺については安全区委員会の抗議文書には含まれていない。
「最初の接触」による不幸な犠牲者という捉え方だったのではないかな。
そして、この時点では、それはおかしなことじゃあない。
この時点で日本軍が「不幸な事故」として形ばかりの陳謝をしていれば、それで済んだことだったと
いう気もするな。
この後で暴行が多発する事態にならなければ、「虐殺」として語られることもなかったのではないかと思う。
これは メッセージ 8050 (deliciousicecoffee さん)への返信です.