笑い納め♪でりちゃんの教えて君教室 2)
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/12/30 08:28 投稿番号: [8064 / 41162]
>『Eyewitness To Massacre』って、2001年に出版された本なの?
ペーパーバックがね。ハードカバーは2000年の発行だ。
中身は南京事件当時に書かれたものが主だから、一次史料の成立は1937〜8年が主だよ。
>ペイツは、アメリカ大使館のアリソン宛に1月14日付で次のような手紙を出している。
〆 〆 〆
昨夜四人の日本人が金陵大学付属中学校の教室へ入ってきました。彼らの行動の詳細は十分には分かりません。というのはしかるべき目撃者が脅えきっているためです。とにかく彼らは一人の少女を連れ去りました。それらの日本人たちは憲兵で、少なくともその一部は、中学校の門に配備された衛兵たちでした。彼らは中国人の布靴を履き、一部に中国服を着ていました。
〆 〆 〆
>どうして、ペイツは、「詳細はわからない」と言いながら、また自ら目撃したわけでもないのに、犯人達は支那人に変装した日本兵、それも憲兵だと断定できるの?
「憲兵」というのが実際に日本軍の正規憲兵であったかどうかは不明だな、アメリカ人に正規の憲兵と
補助憲兵の区別がついたとも思えないが、衛兵として派遣されてきたというのは事実だったのだろうよ。
「一部に中国服を着ていた」というのはあるいは防寒用に現地で調達した服を重ね着していたのかもしれない。
どんな服だかは私も見ないことにはわからない。
「彼らは中国人の布靴を履き」、というのは、行軍用の革の軍靴ではなく、市街地なので「地下足袋」を
着用していたのではないかと思う。
指の股の割れていない先丸の地下足袋は、当時軍用に広く使われており、上陸戦闘や市街戦で使われた。
一見したところ布製でかかとが平べったいので中国軍の布靴と同じように見えるね。
http://t-t-japan.com/bbs2/data/imgbord/file/gunka1.jpg
>どうして、ベイツは、このことを日本大使館宛の文書で抗議しなかったの?
安全区第11号文書に
「ベイツ博士が自分が確認した事件は別に整理しておりますので、それらは
これまで通り、ここに含まれてはおりません。」
とある通り、ベイツは金陵大学非常時委員会の委員長だったので、金陵大学関係の事件は
国際委員会文書と別に日本側に提出していた。
普通に考えれば、この事件はそちらの金陵大学関係事件の抗議文に含まれていたことになる。
金陵大学関係抗議文書はこれまでのところ発見されていない。
これは事実なんだからしょうがない。
>安全区国際委員会の日本大使館宛文書によると、・・ベイツは日本語で説得したの?
可能性の点では、
1.ベイツは多少日本語ができた
2.ベイツも日本兵も多少中国語ができた
3.日本兵は多少英語ができた
この三つが考えられる。
1.はベイツが何度か来日しており、当時夫人は東京、息子は神戸に住んでいたくらいだから、
可能性ゼロではない。
2.は、当時の戦記を読めば解る。兵士用に「簡易支那語会話」のような冊子が発行されていたんだ。
兵士達はカタコトのシナ語を使っていた。
3.可能性ゼロではないが、このシチュエーションでは違うような気がする。
>どうして、ベイツは、安全区国際委員会が記録した「被害届」に記された強姦事件が、未遂を含めても361件で、記録者名のある事例は僅かに61件で、さらに日本軍に通報された事例は7件のみだったのに、東京裁判で「安全区国際委員会の報告のみを基に強姦件数を8千件」と証言したの?
八千件は当時のベイツの推定で、当時の書簡にも残っている数字だ。
前半は東中野センセが論理のわからない人間を引っかけるためにひねくり回した数字のトリックだ。
ベイツの推定が正しいかどうか、私には解らないが、東中野センセの理屈がイカサマだということ位は
理解できるよ (´・ω・`)
でりちゃんの「教えて」はまだまだ続くけど、今年はこれで終わるぞ、きりがない (^_^)/~~
ペーパーバックがね。ハードカバーは2000年の発行だ。
中身は南京事件当時に書かれたものが主だから、一次史料の成立は1937〜8年が主だよ。
>ペイツは、アメリカ大使館のアリソン宛に1月14日付で次のような手紙を出している。
〆 〆 〆
昨夜四人の日本人が金陵大学付属中学校の教室へ入ってきました。彼らの行動の詳細は十分には分かりません。というのはしかるべき目撃者が脅えきっているためです。とにかく彼らは一人の少女を連れ去りました。それらの日本人たちは憲兵で、少なくともその一部は、中学校の門に配備された衛兵たちでした。彼らは中国人の布靴を履き、一部に中国服を着ていました。
〆 〆 〆
>どうして、ペイツは、「詳細はわからない」と言いながら、また自ら目撃したわけでもないのに、犯人達は支那人に変装した日本兵、それも憲兵だと断定できるの?
「憲兵」というのが実際に日本軍の正規憲兵であったかどうかは不明だな、アメリカ人に正規の憲兵と
補助憲兵の区別がついたとも思えないが、衛兵として派遣されてきたというのは事実だったのだろうよ。
「一部に中国服を着ていた」というのはあるいは防寒用に現地で調達した服を重ね着していたのかもしれない。
どんな服だかは私も見ないことにはわからない。
「彼らは中国人の布靴を履き」、というのは、行軍用の革の軍靴ではなく、市街地なので「地下足袋」を
着用していたのではないかと思う。
指の股の割れていない先丸の地下足袋は、当時軍用に広く使われており、上陸戦闘や市街戦で使われた。
一見したところ布製でかかとが平べったいので中国軍の布靴と同じように見えるね。
http://t-t-japan.com/bbs2/data/imgbord/file/gunka1.jpg
>どうして、ベイツは、このことを日本大使館宛の文書で抗議しなかったの?
安全区第11号文書に
「ベイツ博士が自分が確認した事件は別に整理しておりますので、それらは
これまで通り、ここに含まれてはおりません。」
とある通り、ベイツは金陵大学非常時委員会の委員長だったので、金陵大学関係の事件は
国際委員会文書と別に日本側に提出していた。
普通に考えれば、この事件はそちらの金陵大学関係事件の抗議文に含まれていたことになる。
金陵大学関係抗議文書はこれまでのところ発見されていない。
これは事実なんだからしょうがない。
>安全区国際委員会の日本大使館宛文書によると、・・ベイツは日本語で説得したの?
可能性の点では、
1.ベイツは多少日本語ができた
2.ベイツも日本兵も多少中国語ができた
3.日本兵は多少英語ができた
この三つが考えられる。
1.はベイツが何度か来日しており、当時夫人は東京、息子は神戸に住んでいたくらいだから、
可能性ゼロではない。
2.は、当時の戦記を読めば解る。兵士用に「簡易支那語会話」のような冊子が発行されていたんだ。
兵士達はカタコトのシナ語を使っていた。
3.可能性ゼロではないが、このシチュエーションでは違うような気がする。
>どうして、ベイツは、安全区国際委員会が記録した「被害届」に記された強姦事件が、未遂を含めても361件で、記録者名のある事例は僅かに61件で、さらに日本軍に通報された事例は7件のみだったのに、東京裁判で「安全区国際委員会の報告のみを基に強姦件数を8千件」と証言したの?
八千件は当時のベイツの推定で、当時の書簡にも残っている数字だ。
前半は東中野センセが論理のわからない人間を引っかけるためにひねくり回した数字のトリックだ。
ベイツの推定が正しいかどうか、私には解らないが、東中野センセの理屈がイカサマだということ位は
理解できるよ (´・ω・`)
でりちゃんの「教えて」はまだまだ続くけど、今年はこれで終わるぞ、きりがない (^_^)/~~
これは メッセージ 8063 (ja2047 さん)への返信です.