南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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>>>>天皇は東京大空襲を、 2)

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/09/06 06:27 投稿番号: [7370 / 41162]
「或は千百人を廣場に縛し機銃を以て掃射し、或は敷十人を一室に集め油火を以て焚焼す。甚しきは殺人の多寡を競ひて矜持と爲す。」

これらについて、日本側に具体的な記録、証言が残っていることということになると、
やはり南京事件ということになります。
こういう事例について、南京以外での日本側記録が存在するものがあれば、教えて下さい。

1.或は千百人を廣場に縛し機銃を以て掃射し、

柳沼和也   陣中日記
歩兵第65連隊第7中隊・編成   上等兵
十二月十七日   晴
  四交代の歩哨であるからゆっくりと休まれる、日中は単哨で夜間は複哨である。
  工兵隊はトウチカを爆発させたり、南京の攻撃に一つの印象を残して居る。
  夜は第二小隊が捕虜を殺すため行く、兵半円形にして機関銃や軽機で射ったと、其の事については余り書かれない。
  一団七千余人揚子江に露と消ゆる様な事も語って居た。

「読売新聞」1946年5月9日   石川達三インタビュー記事
  「入城式に遅れて正月私が南京へ着いたとき街上は死屍累々大変なものだった。
大きな建物へ一般の中国人数千をおしこめて床へ手榴弾をおき油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶絶させた。また武装解した捕虜を練兵場へあつめて機銃の一斉射撃で葬った。」


2.或は敷十人を一室に集め油火を以て焚焼す。

――南京では虐殺があったと言いますがごらんになってますか?
「言っていいですか?    ――   トーチカに捕虜を詰め込んで焼き殺したと思います――
トーチカの銃丸から苦しそうに息をしてこちらを見つめている中国兵がいたことが、今も印象に
残っています。   苦しそうに鼻をふんふん言わせてね。――  
あとで二万人ぐらい捕虜をやったと聞いたことがあります。」
同盟   細波技師   「南京事件   日本人48人の証言   P118−121   」

井家又一日記
第9師団   第6旅団   第7連隊   第2中隊   上等兵
拾弐月弐拾弐日 (12月22日)
家屋から五人連れをつれてきて突くのである。うーと叫ぶ奴、ぶつぶつと言って歩く奴、泣く奴、全く最後を知るに及んでやはり落付を失っているを見る。戦にやぶれた兵の行先は日本軍人に殺されたのだ。針金で腕をしめる、首をつなぎ、棒でたたきたたきつれ行くのである。中には勇敢な兵は歌を歌い歩調を取って歩く兵もいた。突くかれた兵が死んだまねた、水の中に飛び込んであぶあぶしている奴、中には逃げる為に屋根裏にしがみついてかくれている奴もいる。いくら呼べど降りてこぬ 為ガソリンで家屋を焼く。火達磨となって二・三人が飛んで出て来たのを突殺す。


3.甚しきは殺人の多寡を競ひて矜持と爲す。

1937年11月30日付   東京日々新聞朝刊
(見出し)百人斬り競争! 両少尉、早くも八十人
(本文)[常州にて廿九日浅海、光本、安田特派員発] 常熟、無錫間の四十キロを六日間で踏破した○○部隊の快速はこれと同一の距離の無錫、常州間をたつた三日間で突破した、まさに神速、快進撃、その第一線に立つ片桐部隊に「百人斬り競争」を企てた二名の青年将校がある、無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、一人は廿五人斬りを果たしたといふ、


「百人斬り」の真相については、今日なお議論のあるところですが、
1938年時点では日本ではこの話は真実としてまかり通っていました。

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