捏造?おかしな、おかしな日高信六郎の回想
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/31 21:31 投稿番号: [6818 / 41162]
>上海日本大使館参事官
日高信六郎氏の回想
>「掠奪や虐殺について、占領直後の南京に入った参事官の日高信六郎氏は、わたしに次のように語った。
日高信六郎氏が語った相手である「わたし」って城山三郎のこと?
日高氏はいつ死んだの?
日高氏が生前に語っていたことを城山三郎が1972年に、『潮』10月号に「南京事件と広田弘毅」というタイトルで寄稿したの?
>はげしかった。そこら辺にたくさん死んでいる。歩いていると、ポンポンと音がする。鉄砲が人に当たっている音だ。
この日高信六郎っていう外交官は、随分危険な場所を歩いていたんだね?
>こりゃいかんと思い、憲兵隊長のところへ行った。
>「街に出てごらん。手に何か持っていない兵隊がいたら、わたしは敬礼するよ」
>といったが、隊長は、憲兵は十四名しかいないし、明日(十七日)の入城式に備えて忙しいからという。
某HPによると、
―――――――――――――――――――
日高信六郎氏は、南京事件当時、大使館参事官として上海におりました。南京には、1937年12月17・18日、12月25・26日など、四回にわたり出向いています。(「南京大虐殺事件資料集1 極東国際軍事裁判関係資料編」P180より)
―――――――――――――――――――
と記述されている。
これは重大な矛盾だよ!
城山三郎の捏造ではないの?!
>風呂上がりであったが、軍服を着、部下を連れてトラックで出て行った。そして、掠奪している兵隊、強姦している兵隊を、サーベルの曲がるくらいひっぱたいたといった
へ?
その憲兵隊長は、部下を連れてトラックで出て行ったのに、掠奪や強姦していた兵隊をひっぱたいただけ?
調査とか逮捕とか取調べは?
何故すぐに掠奪って判るわけ?
兵隊が何か手に持っていれば掠奪で、性交していれば強姦なの?
すぐにバレる兵隊も馬鹿?
それより何より、当時、南京に居たその他多数の証言者と、あまりにも証言が違い過ぎる。
当時、南京には100人を超す新聞記者やカメラマンが入城しているし、他にも多数の作家などが入城していたが、誰一人として一般市民の虐殺など見ていないし、強姦や掠奪を目撃した話も殆どない。
彼らは、「東京裁判で、南京にあのような大事件があったと聞いて驚いた。」と異口同音に言う。
>たとえば捕虜の処遇については、…
捕虜の処遇については、完全に論点ズレだ。
どうせ引用するなら、捕虜の処遇に関する部分ではなく、引用文の直前にある安全区に二十数万人の支那の下層民が避難して非常に不幸な状態になった説明を引用すべきだろ。
これは、悪質で重大なトリミングだよ!
>戦争がすんでホッとしたときに、食糧はないし、燃料もない。
戦争が済んで、食糧がなく、燃料もなければ、投降兵を捕虜には取れないわな。
>床をはがして燃す前に、床そのものに火をつける。荷物を市民に運ばせて、用が済むと「ご苦労さん」という代りに射ち殺してしまう。
何故、そんな事を上海日本大使館参事官の日高信六郎がわざわざ南京に来ている時に彼の前でやるのかな?
>問題はこのような放火、殺人、暴行、掠奪といった残虐行為を、外国人の見ている前で働いたということであろう。
これも上と同じで、何故、外国人や外務省の役人が居る前で残虐行為をしたの?
で、外国人や日高たちは、ただ見ていただけ?
>そこで私は、多分十二月十五日だったと記憶するが、司令官の朝香宮を訪ね、「…」と暗に注意を促してから、参謀長に会い、「いま、こういう話をしてきたが、外国の権益のあるところでは慎重にやらねばならない。南京でやっていることが世界中の評判になっているから、大いに自重して欲しい」と申し入れたところ、素直に諒解してくれた。
某HPによると、「日高氏は、南京に、12月17・18日、12月25・26日など、四回出向いている。」ので、日高氏は12月15日には、まだ南京に行ったことがないよね?
それと、日高の忠告を素直に諒解してくれたその参謀長が、#6777でキミが述べた婦女暴行だけでも「百余件」だとして第十軍参謀長命令を出した参謀長か?
#6777の第十軍参謀長の犯罪に関する情報源は、外国との折衝をしていた日高の可能性が高い。
日高なら、外国と折衝していたのだから、その情報源が外国、つまり、安全区国際委員会だったと考えられる。
結局、情報源は、憲兵の調査によるものではなく、安全区国際委員会の嘘・デタラメ宣伝だったんじゃん。
>「掠奪や虐殺について、占領直後の南京に入った参事官の日高信六郎氏は、わたしに次のように語った。
日高信六郎氏が語った相手である「わたし」って城山三郎のこと?
日高氏はいつ死んだの?
日高氏が生前に語っていたことを城山三郎が1972年に、『潮』10月号に「南京事件と広田弘毅」というタイトルで寄稿したの?
>はげしかった。そこら辺にたくさん死んでいる。歩いていると、ポンポンと音がする。鉄砲が人に当たっている音だ。
この日高信六郎っていう外交官は、随分危険な場所を歩いていたんだね?
>こりゃいかんと思い、憲兵隊長のところへ行った。
>「街に出てごらん。手に何か持っていない兵隊がいたら、わたしは敬礼するよ」
>といったが、隊長は、憲兵は十四名しかいないし、明日(十七日)の入城式に備えて忙しいからという。
某HPによると、
―――――――――――――――――――
日高信六郎氏は、南京事件当時、大使館参事官として上海におりました。南京には、1937年12月17・18日、12月25・26日など、四回にわたり出向いています。(「南京大虐殺事件資料集1 極東国際軍事裁判関係資料編」P180より)
―――――――――――――――――――
と記述されている。
これは重大な矛盾だよ!
城山三郎の捏造ではないの?!
>風呂上がりであったが、軍服を着、部下を連れてトラックで出て行った。そして、掠奪している兵隊、強姦している兵隊を、サーベルの曲がるくらいひっぱたいたといった
へ?
その憲兵隊長は、部下を連れてトラックで出て行ったのに、掠奪や強姦していた兵隊をひっぱたいただけ?
調査とか逮捕とか取調べは?
何故すぐに掠奪って判るわけ?
兵隊が何か手に持っていれば掠奪で、性交していれば強姦なの?
すぐにバレる兵隊も馬鹿?
それより何より、当時、南京に居たその他多数の証言者と、あまりにも証言が違い過ぎる。
当時、南京には100人を超す新聞記者やカメラマンが入城しているし、他にも多数の作家などが入城していたが、誰一人として一般市民の虐殺など見ていないし、強姦や掠奪を目撃した話も殆どない。
彼らは、「東京裁判で、南京にあのような大事件があったと聞いて驚いた。」と異口同音に言う。
>たとえば捕虜の処遇については、…
捕虜の処遇については、完全に論点ズレだ。
どうせ引用するなら、捕虜の処遇に関する部分ではなく、引用文の直前にある安全区に二十数万人の支那の下層民が避難して非常に不幸な状態になった説明を引用すべきだろ。
これは、悪質で重大なトリミングだよ!
>戦争がすんでホッとしたときに、食糧はないし、燃料もない。
戦争が済んで、食糧がなく、燃料もなければ、投降兵を捕虜には取れないわな。
>床をはがして燃す前に、床そのものに火をつける。荷物を市民に運ばせて、用が済むと「ご苦労さん」という代りに射ち殺してしまう。
何故、そんな事を上海日本大使館参事官の日高信六郎がわざわざ南京に来ている時に彼の前でやるのかな?
>問題はこのような放火、殺人、暴行、掠奪といった残虐行為を、外国人の見ている前で働いたということであろう。
これも上と同じで、何故、外国人や外務省の役人が居る前で残虐行為をしたの?
で、外国人や日高たちは、ただ見ていただけ?
>そこで私は、多分十二月十五日だったと記憶するが、司令官の朝香宮を訪ね、「…」と暗に注意を促してから、参謀長に会い、「いま、こういう話をしてきたが、外国の権益のあるところでは慎重にやらねばならない。南京でやっていることが世界中の評判になっているから、大いに自重して欲しい」と申し入れたところ、素直に諒解してくれた。
某HPによると、「日高氏は、南京に、12月17・18日、12月25・26日など、四回出向いている。」ので、日高氏は12月15日には、まだ南京に行ったことがないよね?
それと、日高の忠告を素直に諒解してくれたその参謀長が、#6777でキミが述べた婦女暴行だけでも「百余件」だとして第十軍参謀長命令を出した参謀長か?
#6777の第十軍参謀長の犯罪に関する情報源は、外国との折衝をしていた日高の可能性が高い。
日高なら、外国と折衝していたのだから、その情報源が外国、つまり、安全区国際委員会だったと考えられる。
結局、情報源は、憲兵の調査によるものではなく、安全区国際委員会の嘘・デタラメ宣伝だったんじゃん。
これは メッセージ 6811 (ja2047 さん)への返信です.