それは勘違い d(^^ 2)
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/31 06:27 投稿番号: [6812 / 41162]
>>ついでに、日本の外交官やら軍人まで、なんでこの捏造大作戦に
>>荷担したのだろうか。
>お人よしの日本人は、当時も、一部のその筋の外交官や軍人が、安全区国際委員会から発信されていた嘘報告・嘘抗議・嘘宣伝を真に受けてしまったんだよ。
いやいや、現場にいた外交官や軍人は、日本軍による掠奪・暴行・殺人が
あったのを実際に体験したと言ってるよ。
宣伝を信じたんじゃあない、実際に見ている。
今度は軍人。
「取締が厳しすぎる」というお話の元ネタの一つだろうね。
第十軍憲兵隊長上砂勝七少佐の回想
「 右の如く軍の前進に伴い、いろいろの事件も増えて来るので、この取締りには容易ならない苦心をしたが、何分数個師団二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは、如何とも方法が無い。補助憲兵の配属を申し出ても、駐留中ならば聞いてもくれようが、敵を前にしての攻撃前進中では、各部隊とも一兵でも多くを望んでいるのであるから、こちらの希望は容れられず、僅かに現行犯で目に余る者を取押える程度で、然も前進又前進の最中のこととて、軍法会議の開設はなく、一部の者は所属の部隊に引渡して監視させ、一部は憲兵隊で連れて歩き、南京さして進んだのである。
この状態が東京の中央部に伝わったので、時の参謀総長閑院宮閣下から「軍紀粛正に関する訓示」が出された。
戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵を以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、指揮統率者の責任は固よりのことだが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた。
皇軍々々と叫ばれていたが、これでは皇軍が聞いてあきれる状態であったので、憲兵は山地を占領する都度、その都市村落の入口や要所に露骨な字句や、故に逆用される虞れある文句を避けて、婉曲に日本兵に告ぐと題し、火災予防、盗難排除、住民愛護の三項を大きく書いて掲示した。
或る部隊長が憲兵に向い、「今度附いて来た憲兵は日本軍の憲兵か支那軍の憲兵か。取締りがやかまし過ぎるぞ」と詰問するのに、憲兵が答えて「皇軍らしさに欠けるところがなけれは、日本の憲兵となり、さもなくば 支那の憲兵と思われるでしょう」といったことがある。
皇軍が皇軍らしい行動に、些かの欠けるところがなかったなら、数万の金品を使って宣撫したり、百万言を用いて演説するよりも、住民は自ら軍を信頼し皇威に服したであろうに、遺憾なことであった。」
(「憲兵三十一年」 上砂勝七 東京ライフ社 1955 P177〜P178)
>>荷担したのだろうか。
>お人よしの日本人は、当時も、一部のその筋の外交官や軍人が、安全区国際委員会から発信されていた嘘報告・嘘抗議・嘘宣伝を真に受けてしまったんだよ。
いやいや、現場にいた外交官や軍人は、日本軍による掠奪・暴行・殺人が
あったのを実際に体験したと言ってるよ。
宣伝を信じたんじゃあない、実際に見ている。
今度は軍人。
「取締が厳しすぎる」というお話の元ネタの一つだろうね。
第十軍憲兵隊長上砂勝七少佐の回想
「 右の如く軍の前進に伴い、いろいろの事件も増えて来るので、この取締りには容易ならない苦心をしたが、何分数個師団二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは、如何とも方法が無い。補助憲兵の配属を申し出ても、駐留中ならば聞いてもくれようが、敵を前にしての攻撃前進中では、各部隊とも一兵でも多くを望んでいるのであるから、こちらの希望は容れられず、僅かに現行犯で目に余る者を取押える程度で、然も前進又前進の最中のこととて、軍法会議の開設はなく、一部の者は所属の部隊に引渡して監視させ、一部は憲兵隊で連れて歩き、南京さして進んだのである。
この状態が東京の中央部に伝わったので、時の参謀総長閑院宮閣下から「軍紀粛正に関する訓示」が出された。
戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵を以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、指揮統率者の責任は固よりのことだが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた。
皇軍々々と叫ばれていたが、これでは皇軍が聞いてあきれる状態であったので、憲兵は山地を占領する都度、その都市村落の入口や要所に露骨な字句や、故に逆用される虞れある文句を避けて、婉曲に日本兵に告ぐと題し、火災予防、盗難排除、住民愛護の三項を大きく書いて掲示した。
或る部隊長が憲兵に向い、「今度附いて来た憲兵は日本軍の憲兵か支那軍の憲兵か。取締りがやかまし過ぎるぞ」と詰問するのに、憲兵が答えて「皇軍らしさに欠けるところがなけれは、日本の憲兵となり、さもなくば 支那の憲兵と思われるでしょう」といったことがある。
皇軍が皇軍らしい行動に、些かの欠けるところがなかったなら、数万の金品を使って宣撫したり、百万言を用いて演説するよりも、住民は自ら軍を信頼し皇威に服したであろうに、遺憾なことであった。」
(「憲兵三十一年」 上砂勝七 東京ライフ社 1955 P177〜P178)
これは メッセージ 6811 (ja2047 さん)への返信です.