【反日撹乱工作】報道について整理
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/04 22:35 投稿番号: [6355 / 41162]
支那人による【反日撹乱工作】に関する当時の新聞報道について整理。
1.
1938.1.4 NYタイムス
元支那軍将校が避難民の中に 大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに
南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一味とその部下の将校を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。
この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのもであると自白した。
この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう。
*
1938年1月24日、日本軍は、憲兵隊が便衣兵などを捕まえて調査した報告書を公表。
1937年12月28日までに安全区内で捕まえた人数などが発表された。
その中でも、前第88師の副師長の馬(マー)・ポウシャン中将は、反日攪乱行為を扇動していた。
この1月24日の日本軍の発表をチャイナプレスやNYタイムズが採り上げて翌日報道した。
*
2.(1)
1938.1.25 チャイナプレス
(一部抜粋)
報告書によれば、支那軍の高級将校らが、職員が退去したあとの外国大使館などに隠れていた。12月28日までに、23人の支那軍将校、54人の下士官、1498人の兵士が、安全区内のさまざまな建物内から日本軍によって発見された。
これまでに発見されているそのような者の中には、南京保安隊長の王(ワン)・シンロンがおり、チェン・ミと名乗って国際安全区の第4分隊を指揮していた。また、前第88師の副師長の馬(マー)・ポーシャン中将や、南京警察の高官ミ・シンシもいた。
馬(マー)中将は、国際安全区内で反日撹乱工作の扇動を活発に行っており、国際安全区ではファン・アン大尉とライフル17丁も隠れていた。王シンロンと3人の元部下は掠奪、脅迫、強姦をしていた。
2.(2)
1938.1.25 NYタイムス
(一部抜粋)
難民キャンプおよび非軍事化されたはずの安全区に支那人将校23名、下士官54名、兵士1498名が隠れていた、その内の一部は掠奪の件で処刑されたということを明らかにした。これらの高級将校の一部は、大使館、領事館、その他中立国旗を掲げた建物に避難している事が、強調された。
これらの平服の支那軍将校及び副官は、明らかに多くの場合大量の軍需物資を隠匿していた。某国大使館近くと特に曖昧に言及された一防空壕の捜索では、軽砲1、機関銃34、小銃弾42.000、手榴弾7000、砲弾500、迫撃砲2.000が発見された。
3.
1938.2.17 大阪朝日
皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る
【同盟南京二月十六日発】
皇軍の南京入城以来わが将兵が種々の暴行を行つてゐるとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わつてゐるので在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところこのほど漸くその根源を突き止めることが出来た。
右は皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いてゐた憎むべき支那人一味であるが憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。
この不逞極まる支那人はかつて京城において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で皇軍入城後日本人を装ひわが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、(略)の三ヶ所を根城に皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し強盗の被害は総額五万元、暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものであるが憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。
一味は主魁呉堯邦のほか…の十名でいづれも皇軍の入城まで巡警を務めてゐた。
*
以上、3件の【反日撹乱工作】』に関する当時の新聞記事が確認されている。
2.(2)の「1938.1.25 NYタイムス」では、【反日撹乱工作】については特に触れていない。
また、これら、支那人による【反日撹乱工作】に関する当時の新聞記事うち、1.の「1938.1.4 NYタイムス」の情報源が日本軍でないことは、誰の目から見ても明らか。
1.
1938.1.4 NYタイムス
元支那軍将校が避難民の中に 大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに
南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一味とその部下の将校を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。
この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのもであると自白した。
この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう。
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1938年1月24日、日本軍は、憲兵隊が便衣兵などを捕まえて調査した報告書を公表。
1937年12月28日までに安全区内で捕まえた人数などが発表された。
その中でも、前第88師の副師長の馬(マー)・ポウシャン中将は、反日攪乱行為を扇動していた。
この1月24日の日本軍の発表をチャイナプレスやNYタイムズが採り上げて翌日報道した。
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2.(1)
1938.1.25 チャイナプレス
(一部抜粋)
報告書によれば、支那軍の高級将校らが、職員が退去したあとの外国大使館などに隠れていた。12月28日までに、23人の支那軍将校、54人の下士官、1498人の兵士が、安全区内のさまざまな建物内から日本軍によって発見された。
これまでに発見されているそのような者の中には、南京保安隊長の王(ワン)・シンロンがおり、チェン・ミと名乗って国際安全区の第4分隊を指揮していた。また、前第88師の副師長の馬(マー)・ポーシャン中将や、南京警察の高官ミ・シンシもいた。
馬(マー)中将は、国際安全区内で反日撹乱工作の扇動を活発に行っており、国際安全区ではファン・アン大尉とライフル17丁も隠れていた。王シンロンと3人の元部下は掠奪、脅迫、強姦をしていた。
2.(2)
1938.1.25 NYタイムス
(一部抜粋)
難民キャンプおよび非軍事化されたはずの安全区に支那人将校23名、下士官54名、兵士1498名が隠れていた、その内の一部は掠奪の件で処刑されたということを明らかにした。これらの高級将校の一部は、大使館、領事館、その他中立国旗を掲げた建物に避難している事が、強調された。
これらの平服の支那軍将校及び副官は、明らかに多くの場合大量の軍需物資を隠匿していた。某国大使館近くと特に曖昧に言及された一防空壕の捜索では、軽砲1、機関銃34、小銃弾42.000、手榴弾7000、砲弾500、迫撃砲2.000が発見された。
3.
1938.2.17 大阪朝日
皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る
【同盟南京二月十六日発】
皇軍の南京入城以来わが将兵が種々の暴行を行つてゐるとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わつてゐるので在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところこのほど漸くその根源を突き止めることが出来た。
右は皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いてゐた憎むべき支那人一味であるが憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。
この不逞極まる支那人はかつて京城において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で皇軍入城後日本人を装ひわが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、(略)の三ヶ所を根城に皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し強盗の被害は総額五万元、暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものであるが憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。
一味は主魁呉堯邦のほか…の十名でいづれも皇軍の入城まで巡警を務めてゐた。
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以上、3件の【反日撹乱工作】』に関する当時の新聞記事が確認されている。
2.(2)の「1938.1.25 NYタイムス」では、【反日撹乱工作】については特に触れていない。
また、これら、支那人による【反日撹乱工作】に関する当時の新聞記事うち、1.の「1938.1.4 NYタイムス」の情報源が日本軍でないことは、誰の目から見ても明らか。
これは メッセージ 6195 (deliciousicecoffee さん)への返信です.