宇和田日記は、朝日新聞の捏造日記
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/02 22:30 投稿番号: [6336 / 41162]
>私は、保守派の歴史学者でもあり戦史家でもある秦郁彦氏が
>宇和田日記の現物写真まで引用して、
>「なお虐殺風景を書きとどめた宇和田日記の信頼性だが、都城連隊には、たしかに虐殺はあった、と主張する元兵士(秋山正行伍長)もいるし、確実と考えてよいと思う」
>(昭和史の謎を追う(下))
>とまで書いているのだから、日記の信憑性については、一般論として
>疑いはないのではないかと思います、もちろん、秦氏も現物を詳細に
>鑑定した上で言ってるわけではないですし、まして私は現物を見た上で
>言ってるわけじゃあないので、
>「部外者が一般論として信憑性を疑う合理的な理由はない」
>と言うところまでしか言えません。
「モノは言い様」とは、よく言ったものだ。(呆れ)
秦郁彦は、宇和田日記の現物の【虐殺風景を書きとどめたページ】を見ていない。
朝日新聞など日記捏造関係者以外は、誰も【虐殺風景を書きとどめたページの『筆跡』】を見ていない。
なぜならば、そのページの『筆跡』を見れば、この日記捏造事件の全てが明白になるから。
その「宇和田日記の現物写真」というのは、『筆跡』の判らない写真だ。
秦郁彦という人は、人が良いのか嘘証言を簡単に信じる傾向がある。
未亡人をもたぶらかして日記を捏造する朝日新聞が、1人のインチキ証言者を仕立て上げるくらいは御茶の子さいさい。
天下の朝日新聞を舐めてはいけない。
結局、「虐殺があった」と言っているのは、秋山正行1人だけ。
都城23連隊は何人居たのか?
その中の1人の証言と捏造日記を付き合わせて、「信頼性だが、・・・確実と考えてよいと思う」なんて、かなりマヌケだ。
事実と付き合わせておかしいことは、吉川正司氏など多くの元連隊兵士が述べている。
暴かれた誤魔化しを繰り返すのはやめよう!
この朝日新聞の日記捏造事件の核心は、本当に存在した宇和田日記に、後日誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行ったことにある。
当該事件の核心(想定)は以下のとおり。
1973年(昭和48年)、宇和田弥一、死去
1978年(昭和53年)の戦記編纂の以前に、宇和田氏の日記帳に誰かが加筆し、戦記編纂委員会に提出。
戦記完成後、この日記は未亡人の宇和田八重子さんに返送される。
・その後、さらに、誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行い、日記は朝日新聞に渡る。
1984年(昭和59年)年8月、朝日新聞に5段抜きの大見出しが躍る。「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題された記事は一大センセーションを巻き起こす。
1984年末、吉川正司氏は、日記の"現物"を見せてもらったが、3メートルほど離れたところからで、判読は出来ず。
1985年(昭和60年)2月、朝日新聞宮崎支局で2回目の会談。連隊会側5名、朝日新聞側は中村支局長。日記の現物は、5メートルほど離れてから広げられたので、日記帳だと判断することさえ出来ず。
1985年12月、朝日新聞が1984年年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が捏造だったと判明。
1986年(昭和61年)1月、朝日新聞宮崎支局会議室において、連隊会と朝日西部本社の会談。出席者は連隊会5人に対して、朝日側3名。「日記も嘘である。・・・日記を白日のもとにさらせば解決する」と迫れば、「そうなったら日記提供者の氏名が判明して、本人に迷惑が掛かる」と取材源の秘匿を楯に応じず。
1986年8月、日記の保全が第1だと考えた吉川氏は、弁護士を通じて小倉簡易裁判所に対して日記保全の申し立て。
1986年12月、裁判所側はほぼ連隊会側の主張を認め、朝日に日記を見せるよう判決。朝日側が、守秘義務の配慮が万全でないとして、福岡地裁小倉支部に抗告。
本裁判となれば10年はかかるため、連隊会員たちの余命がなくなると判断。「うちの連隊は南京事件に無関係である」という記事を朝日の全国版に載せてもらうことで、保全申し立てを取り下げることを朝日に通告。
1987年(昭和62年)1月、連隊会にも報告。
これ↓を、よく嫁!
朝日新聞との闘い・われらの場合
都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ
吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)
http://popup5.tok2.com/home2/nishio88/nanking/books_bungeishunju875.html
「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より転載
>宇和田日記の現物写真まで引用して、
>「なお虐殺風景を書きとどめた宇和田日記の信頼性だが、都城連隊には、たしかに虐殺はあった、と主張する元兵士(秋山正行伍長)もいるし、確実と考えてよいと思う」
>(昭和史の謎を追う(下))
>とまで書いているのだから、日記の信憑性については、一般論として
>疑いはないのではないかと思います、もちろん、秦氏も現物を詳細に
>鑑定した上で言ってるわけではないですし、まして私は現物を見た上で
>言ってるわけじゃあないので、
>「部外者が一般論として信憑性を疑う合理的な理由はない」
>と言うところまでしか言えません。
「モノは言い様」とは、よく言ったものだ。(呆れ)
秦郁彦は、宇和田日記の現物の【虐殺風景を書きとどめたページ】を見ていない。
朝日新聞など日記捏造関係者以外は、誰も【虐殺風景を書きとどめたページの『筆跡』】を見ていない。
なぜならば、そのページの『筆跡』を見れば、この日記捏造事件の全てが明白になるから。
その「宇和田日記の現物写真」というのは、『筆跡』の判らない写真だ。
秦郁彦という人は、人が良いのか嘘証言を簡単に信じる傾向がある。
未亡人をもたぶらかして日記を捏造する朝日新聞が、1人のインチキ証言者を仕立て上げるくらいは御茶の子さいさい。
天下の朝日新聞を舐めてはいけない。
結局、「虐殺があった」と言っているのは、秋山正行1人だけ。
都城23連隊は何人居たのか?
その中の1人の証言と捏造日記を付き合わせて、「信頼性だが、・・・確実と考えてよいと思う」なんて、かなりマヌケだ。
事実と付き合わせておかしいことは、吉川正司氏など多くの元連隊兵士が述べている。
暴かれた誤魔化しを繰り返すのはやめよう!
この朝日新聞の日記捏造事件の核心は、本当に存在した宇和田日記に、後日誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行ったことにある。
当該事件の核心(想定)は以下のとおり。
1973年(昭和48年)、宇和田弥一、死去
1978年(昭和53年)の戦記編纂の以前に、宇和田氏の日記帳に誰かが加筆し、戦記編纂委員会に提出。
戦記完成後、この日記は未亡人の宇和田八重子さんに返送される。
・その後、さらに、誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行い、日記は朝日新聞に渡る。
1984年(昭和59年)年8月、朝日新聞に5段抜きの大見出しが躍る。「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題された記事は一大センセーションを巻き起こす。
1984年末、吉川正司氏は、日記の"現物"を見せてもらったが、3メートルほど離れたところからで、判読は出来ず。
1985年(昭和60年)2月、朝日新聞宮崎支局で2回目の会談。連隊会側5名、朝日新聞側は中村支局長。日記の現物は、5メートルほど離れてから広げられたので、日記帳だと判断することさえ出来ず。
1985年12月、朝日新聞が1984年年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が捏造だったと判明。
1986年(昭和61年)1月、朝日新聞宮崎支局会議室において、連隊会と朝日西部本社の会談。出席者は連隊会5人に対して、朝日側3名。「日記も嘘である。・・・日記を白日のもとにさらせば解決する」と迫れば、「そうなったら日記提供者の氏名が判明して、本人に迷惑が掛かる」と取材源の秘匿を楯に応じず。
1986年8月、日記の保全が第1だと考えた吉川氏は、弁護士を通じて小倉簡易裁判所に対して日記保全の申し立て。
1986年12月、裁判所側はほぼ連隊会側の主張を認め、朝日に日記を見せるよう判決。朝日側が、守秘義務の配慮が万全でないとして、福岡地裁小倉支部に抗告。
本裁判となれば10年はかかるため、連隊会員たちの余命がなくなると判断。「うちの連隊は南京事件に無関係である」という記事を朝日の全国版に載せてもらうことで、保全申し立てを取り下げることを朝日に通告。
1987年(昭和62年)1月、連隊会にも報告。
これ↓を、よく嫁!
朝日新聞との闘い・われらの場合
都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ
吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)
http://popup5.tok2.com/home2/nishio88/nanking/books_bungeishunju875.html
「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より転載
これは メッセージ 6312 (ja2047 さん)への返信です.