落ち穂拾い 2)
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/02 08:59 投稿番号: [6322 / 41162]
>> あのね、こう言うときに、抑圧的な政権が「事実を書いたのは犯罪行為である」って言うと思いますか?
>> 本気でそう思ってます?
>また推測ですか?
推測じゃあありません。
合理的な判断です。
>では反問しますが、起訴理由が嘘であるという根拠は何ですか?
ただ単に抑圧的な政権だから、というなら、先入観だけで議論をしているのであって、そこに論理性はありません。
論理的というほど難しいことじゃあない、常識的にに考えて下さい。
ウソを書いたから取り締まられたのなら、「ウソを書いたからいかん」と発表します。
事実を書いたものを取り締まるときに「事実をバラしたからいかん」と言いますか?
「虚構の事実を恰も事実の如くに空想して執筆した」という起訴理由は、それが
実際に「虚構」であったと言うことの裏付けにはならない、そういうことです。
これが、旧ソ連や、ナチスドイツや、現代中国の話であれば、何の疑いもなく
納得してもらえると思うのですけどね。
例え戦前でも、(いや、かえって戦中、戦前の方が)
日本の話になると、なぜか急に冷静な思考が出来なくなる人がいますね。
>> だから、ソ連には報道の自由があったという人がいたら、私信用しませんが。
>ソ連を同列に論じたかったら、橋本氏のように「ソ連では書きたいことが書けた」という証言者を捜してくるんですね。
これもなのですね。
元々はあなたの発言
>>>大体彼の書いたものはフィクションですよ。フィクションに誇張や単純化はつきものです。それが咎められたからといって、報道の自由が全面的に無かったという証拠になるとは考えられないですね。
に、対して、私が
>>ソルジェニーツィンやパステルナークの書いたのは、ありゃあ小説ではなかったですか?
だから、ソ連には報道の自由があったという人がいたら、私信用しませんが。
と言ったわけですよ。
「取り締まられた例はフィクションであるから、報道の自由がなかった証拠にならない」
という論理のおかしさを指摘したまでです。
そもそも、石川達三が逮捕されたのは、新聞紙法の
「第四十一条 安寧秩序ヲ紊シ又ハ風俗ヲ害スル事項ヲ新聞紙ニ掲載シタルトキハ」
に、対する違反なのだし、これまでにも、私は当時の言論統制を物語る資料を
紹介しています。
1937年9月9日、陸軍省報道検閲部局「新聞掲載事項拒否判定要領」
(以下のような記事は掲載してはならない)
・「我軍に不利なる記事写真」
・「支那兵または支那人逮捕尋問等の記事写真中、虐待の感を与えるおそれあるもの」
・「惨虐なる写真、ただし支那兵または支那人の惨虐性に関する記事は差し支えなし 」
とかね、 他にも
1937年7月13日、内務省警保局図書課「時局に関する記事取扱に関する件」
1937年8月2日、憲兵司令部警務部長通牒「時局に関する言論、文書取締に関する件」
など、報道規制の通達はいろいろと出ています。
大新聞はこれを受けて、時局に相応しくない記事は掲載を控えていますが、
小規模な業界紙のようなものは、取り締まられた例もあるし、
海外報道は頒布禁止です。 この辺、当時の「出版警察報」のような報告書には
取締のリストが残っていますよ。
だから、現に記者達は「書けなかった」と言ってます。 こんなふうに。
今井正剛氏『南京城内の大量殺人』より
何万人か知らない。おそらくそのうちの何パーセントだけが敗残兵であったほかは、
その大部分が南京市民であっただろうことは想像に難くなかった。
揚子江の岸壁へ、市内の方々から集められた、少年から老年にいたる男たちが、
小銃の射殺だけでは始末がつかなくて、東西両方からの機銃掃射の雨を浴びているのだ。
「うっ、寒い」
私たちは、近くから木ぎれを集めてきて焚火をした。
「さっき、支局のそばでやってるとき、自動車が一台そばを通ったねえ」
中村君がそういった。
「毛唐が乗ってたぜ」
「あれは中国紅卍(まんじ)会だろうと思うな。このニュースはジュネーブへつつ抜けになるな」
「書きたいなあ」
「いつの日にかね。まあ当分は書けないさ。でもオレたちは見たんだからな」
「いや、もう一度見ようや。この眼で」
そういって二人は腰をあげた。いつの間にか、機銃音が絶えていたからだ。
(『目撃者が語る日中戦争』P57〜P58 = 初出『特集・文藝春秋』昭和31年12月)
>> 本気でそう思ってます?
>また推測ですか?
推測じゃあありません。
合理的な判断です。
>では反問しますが、起訴理由が嘘であるという根拠は何ですか?
ただ単に抑圧的な政権だから、というなら、先入観だけで議論をしているのであって、そこに論理性はありません。
論理的というほど難しいことじゃあない、常識的にに考えて下さい。
ウソを書いたから取り締まられたのなら、「ウソを書いたからいかん」と発表します。
事実を書いたものを取り締まるときに「事実をバラしたからいかん」と言いますか?
「虚構の事実を恰も事実の如くに空想して執筆した」という起訴理由は、それが
実際に「虚構」であったと言うことの裏付けにはならない、そういうことです。
これが、旧ソ連や、ナチスドイツや、現代中国の話であれば、何の疑いもなく
納得してもらえると思うのですけどね。
例え戦前でも、(いや、かえって戦中、戦前の方が)
日本の話になると、なぜか急に冷静な思考が出来なくなる人がいますね。
>> だから、ソ連には報道の自由があったという人がいたら、私信用しませんが。
>ソ連を同列に論じたかったら、橋本氏のように「ソ連では書きたいことが書けた」という証言者を捜してくるんですね。
これもなのですね。
元々はあなたの発言
>>>大体彼の書いたものはフィクションですよ。フィクションに誇張や単純化はつきものです。それが咎められたからといって、報道の自由が全面的に無かったという証拠になるとは考えられないですね。
に、対して、私が
>>ソルジェニーツィンやパステルナークの書いたのは、ありゃあ小説ではなかったですか?
だから、ソ連には報道の自由があったという人がいたら、私信用しませんが。
と言ったわけですよ。
「取り締まられた例はフィクションであるから、報道の自由がなかった証拠にならない」
という論理のおかしさを指摘したまでです。
そもそも、石川達三が逮捕されたのは、新聞紙法の
「第四十一条 安寧秩序ヲ紊シ又ハ風俗ヲ害スル事項ヲ新聞紙ニ掲載シタルトキハ」
に、対する違反なのだし、これまでにも、私は当時の言論統制を物語る資料を
紹介しています。
1937年9月9日、陸軍省報道検閲部局「新聞掲載事項拒否判定要領」
(以下のような記事は掲載してはならない)
・「我軍に不利なる記事写真」
・「支那兵または支那人逮捕尋問等の記事写真中、虐待の感を与えるおそれあるもの」
・「惨虐なる写真、ただし支那兵または支那人の惨虐性に関する記事は差し支えなし 」
とかね、 他にも
1937年7月13日、内務省警保局図書課「時局に関する記事取扱に関する件」
1937年8月2日、憲兵司令部警務部長通牒「時局に関する言論、文書取締に関する件」
など、報道規制の通達はいろいろと出ています。
大新聞はこれを受けて、時局に相応しくない記事は掲載を控えていますが、
小規模な業界紙のようなものは、取り締まられた例もあるし、
海外報道は頒布禁止です。 この辺、当時の「出版警察報」のような報告書には
取締のリストが残っていますよ。
だから、現に記者達は「書けなかった」と言ってます。 こんなふうに。
今井正剛氏『南京城内の大量殺人』より
何万人か知らない。おそらくそのうちの何パーセントだけが敗残兵であったほかは、
その大部分が南京市民であっただろうことは想像に難くなかった。
揚子江の岸壁へ、市内の方々から集められた、少年から老年にいたる男たちが、
小銃の射殺だけでは始末がつかなくて、東西両方からの機銃掃射の雨を浴びているのだ。
「うっ、寒い」
私たちは、近くから木ぎれを集めてきて焚火をした。
「さっき、支局のそばでやってるとき、自動車が一台そばを通ったねえ」
中村君がそういった。
「毛唐が乗ってたぜ」
「あれは中国紅卍(まんじ)会だろうと思うな。このニュースはジュネーブへつつ抜けになるな」
「書きたいなあ」
「いつの日にかね。まあ当分は書けないさ。でもオレたちは見たんだからな」
「いや、もう一度見ようや。この眼で」
そういって二人は腰をあげた。いつの間にか、機銃音が絶えていたからだ。
(『目撃者が語る日中戦争』P57〜P58 = 初出『特集・文藝春秋』昭和31年12月)
これは メッセージ 6284 (nmwgip さん)への返信です.