そろそろ結論としたいですね
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/06/27 21:50 投稿番号: [6240 / 41162]
まず再確認です。
上海爆撃に関する中国の政治宣伝と、ニューヨークタイムスの報じた撹乱工作中国兵の摘発記事は、同列に扱うことは出来ない、という結論についてはよろしいですね?
上海爆撃を中国が政治宣伝に利用した、という私の指摘に対する、南京において事実に基づかない政治宣伝を先に行ったのは日本だった、という貴方の反論は取り下げでいいんですね?
貴方が言っているのは東中野教授の言説に異議があるということであって、ニューヨークタイムスの報じた撹乱工作中国兵の摘発記事自体を否定するものとはなっていませんので。東京裁判で攪乱工作が取り上げられていないということはニューヨークタイムスの当該記事を疑う理由にはならないということも説明しましたが、それに対する回答はやっぱり東京裁判で取り上げられていなかったという鸚鵡返しのみでしたから。
他の方との議論で、当該記事のニュースソースが日本軍であることを否定するようなコメントもありましたね。
次にダーディンの記事の件です。貴方と議論をしていると3回に1回くらい同じ事を言っているような気がするのですか、当初の論点を忘れていませんか?
このダーディンの記事に関する議論は、中国兵による撹乱工作の記事には傍証が無いから信頼性が無いという貴方の見解に対して、傍証が無いという意味ではダーディンの記事も同じだ、という私の反論から始まっています。
だから貴方がすべきことは、ダーディンの記事を否定する証言を圧倒的に上回る量の、補強証言を挙げることです。
100%真実であったという証拠が無いという論法を使うなら、中国兵の処刑に関する部分を補強する証言があったところで、民間人の殺害に関する補償証言が無ければ、ダーディンの記事が信頼性に欠けているという結論に変わりはありません。
民間人の殺害について、否定証言を覆すだけの証言があるのですか?
> たとえば、戦時中沈黙していた人が戦後になると急に喋り出す。
> あるいは、戦後沈黙を守っていた人が、晩年に自分の体験を語る。
> そういうのは、なんかありがちな話なので、理解できます。
こう申し上げては何ですが、上記の見解は貴方の憶測に過ぎません。
これに対して、GHQによる徹底的な検閲、情報操作、焚書まで伴う思想改造は歴史的な事実です。
石川達三氏の発言が生涯一貫しているというのも貴方の印象に過ぎないのであって、1946年の読売新聞の報道内容と晩年のインタビューの内容は明らかに食い違っています。
「大きな建物へ一般の中国人数千をおしこめて床へ手榴弾をおき油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶絶させた。」が「大虐殺の痕跡」に当たらないとすれば、感性がおかしいと思います。
報道の自由度について、五島広作氏の記述を証拠としたいご様子ですが、この記述は単に熊本第六師団の参謀が暴走したというだけです。これが日本軍全体のスタンスであったとする証拠はありません。
橋本氏の証言と五島氏の記述のどちらも真であると仮定すれば、一部に報道を統制しようとした軍人がいたが、全般的に見れば報道の自由は確保されていたと結論付けられます。貴方はどうやら橋本氏の証言は偽で五島氏の証言は真であると結論付けたいようですが、それなら「南京事件の真相」で語られた否定論も真であるとしなければダブルスタンダードでしょう。
> ひょっとしてあなた12月13,14日時点での街路での市民の死体に話を絞って
> 論じているおつもりですか?
> それならそう明言して下さい。
私は最初から1937.12.18付のダーディンの記事の信憑性について論じています。
それを貴方がどう誤解しても、私の関知するところではありません。
上海爆撃に関する中国の政治宣伝と、ニューヨークタイムスの報じた撹乱工作中国兵の摘発記事は、同列に扱うことは出来ない、という結論についてはよろしいですね?
上海爆撃を中国が政治宣伝に利用した、という私の指摘に対する、南京において事実に基づかない政治宣伝を先に行ったのは日本だった、という貴方の反論は取り下げでいいんですね?
貴方が言っているのは東中野教授の言説に異議があるということであって、ニューヨークタイムスの報じた撹乱工作中国兵の摘発記事自体を否定するものとはなっていませんので。東京裁判で攪乱工作が取り上げられていないということはニューヨークタイムスの当該記事を疑う理由にはならないということも説明しましたが、それに対する回答はやっぱり東京裁判で取り上げられていなかったという鸚鵡返しのみでしたから。
他の方との議論で、当該記事のニュースソースが日本軍であることを否定するようなコメントもありましたね。
次にダーディンの記事の件です。貴方と議論をしていると3回に1回くらい同じ事を言っているような気がするのですか、当初の論点を忘れていませんか?
このダーディンの記事に関する議論は、中国兵による撹乱工作の記事には傍証が無いから信頼性が無いという貴方の見解に対して、傍証が無いという意味ではダーディンの記事も同じだ、という私の反論から始まっています。
だから貴方がすべきことは、ダーディンの記事を否定する証言を圧倒的に上回る量の、補強証言を挙げることです。
100%真実であったという証拠が無いという論法を使うなら、中国兵の処刑に関する部分を補強する証言があったところで、民間人の殺害に関する補償証言が無ければ、ダーディンの記事が信頼性に欠けているという結論に変わりはありません。
民間人の殺害について、否定証言を覆すだけの証言があるのですか?
> たとえば、戦時中沈黙していた人が戦後になると急に喋り出す。
> あるいは、戦後沈黙を守っていた人が、晩年に自分の体験を語る。
> そういうのは、なんかありがちな話なので、理解できます。
こう申し上げては何ですが、上記の見解は貴方の憶測に過ぎません。
これに対して、GHQによる徹底的な検閲、情報操作、焚書まで伴う思想改造は歴史的な事実です。
石川達三氏の発言が生涯一貫しているというのも貴方の印象に過ぎないのであって、1946年の読売新聞の報道内容と晩年のインタビューの内容は明らかに食い違っています。
「大きな建物へ一般の中国人数千をおしこめて床へ手榴弾をおき油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶絶させた。」が「大虐殺の痕跡」に当たらないとすれば、感性がおかしいと思います。
報道の自由度について、五島広作氏の記述を証拠としたいご様子ですが、この記述は単に熊本第六師団の参謀が暴走したというだけです。これが日本軍全体のスタンスであったとする証拠はありません。
橋本氏の証言と五島氏の記述のどちらも真であると仮定すれば、一部に報道を統制しようとした軍人がいたが、全般的に見れば報道の自由は確保されていたと結論付けられます。貴方はどうやら橋本氏の証言は偽で五島氏の証言は真であると結論付けたいようですが、それなら「南京事件の真相」で語られた否定論も真であるとしなければダブルスタンダードでしょう。
> ひょっとしてあなた12月13,14日時点での街路での市民の死体に話を絞って
> 論じているおつもりですか?
> それならそう明言して下さい。
私は最初から1937.12.18付のダーディンの記事の信憑性について論じています。
それを貴方がどう誤解しても、私の関知するところではありません。
これは メッセージ 6214 (ja2047 さん)への返信です.