安心しました (^^
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/27 06:21 投稿番号: [6214 / 41162]
>脱線ではありません
そうですか、安心しました。
>本当に失礼な人ですね。
せんだって、話題が展開して具体的な話になっていったところ、
>そもそもの論点は何かをすっかり見失っておられるようですね。
と、お叱りを受けましたので、今回は気を使ったのですが・・・・・
>要約ではなく全文をどうぞ。
と言いたいところですが、そんなつまらない揚げ足取りはしません。
私が出したのは「要約」ではなく「部分引用」です。
必要なら全文を出すことはいっこうに構いません。
「要約」は原資料の意味を改変してしまうことがあるので、
あまりしたくないのです。
(3)石川達三
>「読売新聞」1946年5月9日付記事。
1946年5月9日付? War Guilt Information Programの真っ最中じゃないですか。
こんな時期の新聞記事が証拠になるはず無いでしょう。
後日の回顧の方が余程信頼できますね。
石川達三は、1937年12月下旬、中央公論会の特派員として、上海、蘇州、南京を訪れ、1月5日に南京に入りました。
そして帰国後、兵隊たちから聞き取った体験談をもとに、これを小説の形で「生きている兵隊」の題名で「中央公論」三月号に発表したのですが・・・・
これが、伏せ字だらけにもかかわらず、捕虜殺害、住民殺害のエピソードの連続。
直ちに「反軍的内容を持った時局柄不穏当な作品」として発売禁止処分を受け、中央公論は回収。
本人は「新聞紙法」違反で起訴されて、禁錮四ヵ月、執行猶予三年の判決を受けたのですね。
それから8年後、戦後になって新聞のインタビューを受けて語ったのが
「入城式に遅れて正月私が南京へ着いたとき街上は死屍累々大変なものだった。」
の記事です。
たとえば、戦時中沈黙していた人が戦後になると急に喋り出す。
あるいは、戦後沈黙を守っていた人が、晩年に自分の体験を語る。
そういうのは、なんかありがちな話なので、理解できます。
だが彼は、生前一貫して同じことを語っている。
周囲の状況に流されてものを言っているようには見えない。
晩年のインタビューについては、
「何万の死体の処理はとても二、三週間では終わらないと思います。」
と回答しているのですね。
なるほど、石川が南京の街路で見た死体は「大変なもの」ではあったが、
「何万」とか何十万とかの数ではなかった。
そう言うことなら辻褄が合います。
>>「何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いてたよ」
>>と言われて本気に出来ますか?
>出来ますよ。
何故出来ないと?所謂大本営発表による情報統制はミッドウェー以降でしょう。
この時期に日本軍がマスコミを厳しく統制していたという証拠でもあるんですか?
提示済みです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6168
だいいち、他の人の回想には「書けなかった」、「写真を撮っていたら殺されていた」
「撮ったけど切られたものもある」など、いくらでも出てきてるじゃあないですか。
あなた、私の投稿の中身読まずに、自分の言いたいことだけ書いてませんか?
>これも中国兵の処刑風景と便衣兵の摘発風景ですね。
どちらも広く知られていたことですし、ダーディンが報じたような市民の虐殺ではありません。
ダーディンは「市民も」と言ってるのであり、記事のメインは捕虜殺害になってます。
「南京事件」における「虐殺」とは「無抵抗の軍民の殺害」というのが定義ですし、
市内における市民の被害の過半は兵士とみなされて連行・殺害されたことによるものです。
ひょっとしてあなた12月13,14日時点での街路での市民の死体に話を絞って
論じているおつもりですか?
それならそう明言して下さい。
石川達三を出されても困りますし、まして橋本登美三郎を出されても
何の裏付けにもなりません。
>私は誰かに活動費を貰っている訳ではありませんので、Timesの縮刷版を当たれと言われてもはいそうですかと言うほど自由は利きませんので。
あなたが「活動費を貰った工作員」かどうかなど、ネットでは確認のしようもありませんし、
私にはどうでもいいことです。
出所が不明確で、元の資料になんと書かれているかが曖昧な資料で議論しないで下さい
とお願いしているだけなのです。
今朝は時間切れなので、ここまでで
そうですか、安心しました。
>本当に失礼な人ですね。
せんだって、話題が展開して具体的な話になっていったところ、
>そもそもの論点は何かをすっかり見失っておられるようですね。
と、お叱りを受けましたので、今回は気を使ったのですが・・・・・
>要約ではなく全文をどうぞ。
と言いたいところですが、そんなつまらない揚げ足取りはしません。
私が出したのは「要約」ではなく「部分引用」です。
必要なら全文を出すことはいっこうに構いません。
「要約」は原資料の意味を改変してしまうことがあるので、
あまりしたくないのです。
(3)石川達三
>「読売新聞」1946年5月9日付記事。
1946年5月9日付? War Guilt Information Programの真っ最中じゃないですか。
こんな時期の新聞記事が証拠になるはず無いでしょう。
後日の回顧の方が余程信頼できますね。
石川達三は、1937年12月下旬、中央公論会の特派員として、上海、蘇州、南京を訪れ、1月5日に南京に入りました。
そして帰国後、兵隊たちから聞き取った体験談をもとに、これを小説の形で「生きている兵隊」の題名で「中央公論」三月号に発表したのですが・・・・
これが、伏せ字だらけにもかかわらず、捕虜殺害、住民殺害のエピソードの連続。
直ちに「反軍的内容を持った時局柄不穏当な作品」として発売禁止処分を受け、中央公論は回収。
本人は「新聞紙法」違反で起訴されて、禁錮四ヵ月、執行猶予三年の判決を受けたのですね。
それから8年後、戦後になって新聞のインタビューを受けて語ったのが
「入城式に遅れて正月私が南京へ着いたとき街上は死屍累々大変なものだった。」
の記事です。
たとえば、戦時中沈黙していた人が戦後になると急に喋り出す。
あるいは、戦後沈黙を守っていた人が、晩年に自分の体験を語る。
そういうのは、なんかありがちな話なので、理解できます。
だが彼は、生前一貫して同じことを語っている。
周囲の状況に流されてものを言っているようには見えない。
晩年のインタビューについては、
「何万の死体の処理はとても二、三週間では終わらないと思います。」
と回答しているのですね。
なるほど、石川が南京の街路で見た死体は「大変なもの」ではあったが、
「何万」とか何十万とかの数ではなかった。
そう言うことなら辻褄が合います。
>>「何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いてたよ」
>>と言われて本気に出来ますか?
>出来ますよ。
何故出来ないと?所謂大本営発表による情報統制はミッドウェー以降でしょう。
この時期に日本軍がマスコミを厳しく統制していたという証拠でもあるんですか?
提示済みです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6168
だいいち、他の人の回想には「書けなかった」、「写真を撮っていたら殺されていた」
「撮ったけど切られたものもある」など、いくらでも出てきてるじゃあないですか。
あなた、私の投稿の中身読まずに、自分の言いたいことだけ書いてませんか?
>これも中国兵の処刑風景と便衣兵の摘発風景ですね。
どちらも広く知られていたことですし、ダーディンが報じたような市民の虐殺ではありません。
ダーディンは「市民も」と言ってるのであり、記事のメインは捕虜殺害になってます。
「南京事件」における「虐殺」とは「無抵抗の軍民の殺害」というのが定義ですし、
市内における市民の被害の過半は兵士とみなされて連行・殺害されたことによるものです。
ひょっとしてあなた12月13,14日時点での街路での市民の死体に話を絞って
論じているおつもりですか?
それならそう明言して下さい。
石川達三を出されても困りますし、まして橋本登美三郎を出されても
何の裏付けにもなりません。
>私は誰かに活動費を貰っている訳ではありませんので、Timesの縮刷版を当たれと言われてもはいそうですかと言うほど自由は利きませんので。
あなたが「活動費を貰った工作員」かどうかなど、ネットでは確認のしようもありませんし、
私にはどうでもいいことです。
出所が不明確で、元の資料になんと書かれているかが曖昧な資料で議論しないで下さい
とお願いしているだけなのです。
今朝は時間切れなので、ここまでで
これは メッセージ 6207 (nmwgip さん)への返信です.