Re:まずは脱線のお付き合い 1)
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/26 09:01 投稿番号: [6199 / 41162]
>ダーディン記者の1937.12.18の記事の要点は以下三つ。
(1)日本軍による民間人の大量殺害が行われた。
(2)南京市街のほとんど全ての通りには民間人の死体が散乱していた。
(3)死体の中には老人、女性、子供等、明らかに非戦闘員の死体が混じっていた。
あ、こういう括り方をしちゃうのですね。
繁雑になりますが、記事の冒頭部分だけ再引用しておきましょう。
一九三七年十二月十八日
捕虜全員を殺害、日本軍、民間人も殺害、南京を恐怖が襲う
F・ティルマン・ダーディン
◇アメリカ大使館を襲撃
◇蒋介石総統のおそまつな戦術、指揮官の逃亡 首都陥落を招く
十二月十七日、上海アメリカ船オアフ号発
ニューヨーク・タイムズ宛特電
南京における大規模な虐殺と蛮行により、日本軍は現地の中国住民および外国人から尊敬と信頼が得られるはずの、またとない機会を逃してしまった。
中国当局の瓦解と中国軍の崩壊により、南京の大勢の中国人は、日本軍の登場とともにうちたてられる秩序と組織に応える用意ができていた。日本軍が南京城内の支配を掌撞した時、これからは恐怖の爆撃も止み、中国軍の混乱による脅威も除かれるであろうとする安堵の空気が一般市民の間に広まった。
少なくとも戦争状態が終わるまで、日本の支配は厳しいものになるだろうという気はしていた。ところが、日本軍の占領が始まってから二日で、この見込みは一変した。大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した。
>(1)日本軍による民間人の大量殺害が行われた。
記事は「民間人も殺害」です。
「民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を目にした。犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた。
とくに警察官や消防士が攻撃の対象であった。犠牲者の多くが銃剣で刺殺されていたが、なかには、野蛮このうえないむごい傷をうけた者もいた。」
警察官や消防士が特に多かったというのは、ありそうな話であり、
現にあった話でもあります。
事実をありのままに記述しているのでしょうね。
>(2)南京市街のほとんど全ての通りには民間人の死体が散乱していた。
(3)死体の中には老人、女性、子供等、明らかに非戦闘員の死体が混じっていた。
この部分のことですね
「民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を日にした。犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた。」
スチールも12月15日記事では
「市内の通りはいたるところに市民の死体や中国軍の装備・兵服が散乱していた。」
と書き、
さらに12月17日の記事では
「また、以下のようなことをも目撃した。
怯えた一兵士がドイツ国旗の下で這っていた。何百という負傷兵が一人一人の通行人に助けを求めながら道路を這い、びっこを引いて歩いて行った。日本軍将兵が略奪品輸送に使おうと苦力やロバを徴発していた。日本の機関銃隊が月明かりのなか術路を走行し、走る者なら誰でも、またそうでない者をも射殺していった。
日本軍は虱潰しに家々を捜索していき、多数の便衣兵容疑者を捕らえていた。これら多数の縛られた者たちが一人一人銃殺されていき、その傍らでは同じ死刑囚がぼんやりと座って自分の順番を待っているのであった。
「無力な住民が突き刺される」
私は、日本軍が無力な住民を殴ったり突き刺したりしているのを見た。また病院では、大勢の市民が銃剣創傷で若しんでいるのを見た。 また街路という街路に死体が散乱しているのを見た。そのなかには人に傷害を与えたとはとても思えない数名の老人も含まれていた。また処刑された男たちの死体の折り重なる山をも見た。」
と、書いていますので、ここまでは自分の目で目撃したと考えられます。
ダーディン記事とはおおむね一致した内容になっていることが解ると思います。
(1)日本軍による民間人の大量殺害が行われた。
(2)南京市街のほとんど全ての通りには民間人の死体が散乱していた。
(3)死体の中には老人、女性、子供等、明らかに非戦闘員の死体が混じっていた。
あ、こういう括り方をしちゃうのですね。
繁雑になりますが、記事の冒頭部分だけ再引用しておきましょう。
一九三七年十二月十八日
捕虜全員を殺害、日本軍、民間人も殺害、南京を恐怖が襲う
F・ティルマン・ダーディン
◇アメリカ大使館を襲撃
◇蒋介石総統のおそまつな戦術、指揮官の逃亡 首都陥落を招く
十二月十七日、上海アメリカ船オアフ号発
ニューヨーク・タイムズ宛特電
南京における大規模な虐殺と蛮行により、日本軍は現地の中国住民および外国人から尊敬と信頼が得られるはずの、またとない機会を逃してしまった。
中国当局の瓦解と中国軍の崩壊により、南京の大勢の中国人は、日本軍の登場とともにうちたてられる秩序と組織に応える用意ができていた。日本軍が南京城内の支配を掌撞した時、これからは恐怖の爆撃も止み、中国軍の混乱による脅威も除かれるであろうとする安堵の空気が一般市民の間に広まった。
少なくとも戦争状態が終わるまで、日本の支配は厳しいものになるだろうという気はしていた。ところが、日本軍の占領が始まってから二日で、この見込みは一変した。大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した。
>(1)日本軍による民間人の大量殺害が行われた。
記事は「民間人も殺害」です。
「民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を目にした。犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた。
とくに警察官や消防士が攻撃の対象であった。犠牲者の多くが銃剣で刺殺されていたが、なかには、野蛮このうえないむごい傷をうけた者もいた。」
警察官や消防士が特に多かったというのは、ありそうな話であり、
現にあった話でもあります。
事実をありのままに記述しているのでしょうね。
>(2)南京市街のほとんど全ての通りには民間人の死体が散乱していた。
(3)死体の中には老人、女性、子供等、明らかに非戦闘員の死体が混じっていた。
この部分のことですね
「民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を日にした。犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた。」
スチールも12月15日記事では
「市内の通りはいたるところに市民の死体や中国軍の装備・兵服が散乱していた。」
と書き、
さらに12月17日の記事では
「また、以下のようなことをも目撃した。
怯えた一兵士がドイツ国旗の下で這っていた。何百という負傷兵が一人一人の通行人に助けを求めながら道路を這い、びっこを引いて歩いて行った。日本軍将兵が略奪品輸送に使おうと苦力やロバを徴発していた。日本の機関銃隊が月明かりのなか術路を走行し、走る者なら誰でも、またそうでない者をも射殺していった。
日本軍は虱潰しに家々を捜索していき、多数の便衣兵容疑者を捕らえていた。これら多数の縛られた者たちが一人一人銃殺されていき、その傍らでは同じ死刑囚がぼんやりと座って自分の順番を待っているのであった。
「無力な住民が突き刺される」
私は、日本軍が無力な住民を殴ったり突き刺したりしているのを見た。また病院では、大勢の市民が銃剣創傷で若しんでいるのを見た。 また街路という街路に死体が散乱しているのを見た。そのなかには人に傷害を与えたとはとても思えない数名の老人も含まれていた。また処刑された男たちの死体の折り重なる山をも見た。」
と、書いていますので、ここまでは自分の目で目撃したと考えられます。
ダーディン記事とはおおむね一致した内容になっていることが解ると思います。
これは メッセージ 6198 (nmwgip さん)への返信です.