Re:ダーディンの1937.12.18記事
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/06/25 23:53 投稿番号: [6198 / 41162]
ダーディン記者の1937.12.18の記事の要点は以下三つ。
(1)日本軍による民間人の大量殺害が行われた。
(2)南京市街のほとんど全ての通りには民間人の死体が散乱していた。
(3)死体の中には老人、女性、子供等、明らかに非戦闘員の死体が混じっていた。
処刑の方はここでは問題にしません。
外国人に公開された形で処刑が行われ、そのことについて国際的な非難を浴びていないのですから、当時の基準で戦争犯罪とみなされていなかったことは明らかです。
さて、上記(1)〜(3)の民間人大量殺害に関する証言は以下の通り。
・石川達三(「生きている兵隊」作者)
「私が南京に入ったのは入城式から2週間後です」
――そのときどのような虐殺をご覧になられましたか?
「大殺戮の痕跡は一ぺんも見ておりません」
・橋本登美三郎(朝日新聞社上海支局次長)
「南京の事件ねえ。全然聞いていない。もしあれば、記者の間で話にでるはずだ。記者は少しでも話題になりそうなことは互いに話にするし・・・それが仕事だからね。噂としても聞いたこともない。朝日新聞では現地記者ばかり集めて座談会もやったが、あったのなら、露骨でないにしても、抵抗があったとか、そんな話が出るはずだ」
・足立和雄(朝日新聞社南京特派員)
「私は南京大虐殺なんて見ていません。」
・佐藤振寿(東京日々新聞カメラマン)
――虐殺があったといわれますが?
「見ていません。虐殺があったと言われていますが16、7日頃になると、小さい通りだけではなく、大通りにも店が出ました。また、多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集まっていましたから、とても残虐な殺しなどがあったとは信じられません」
・浅井達三(同盟通信映画部カメラマン)
――同盟通信のなかで虐殺というようなことが話題にならなかったですか?
「なりませんでした。その頃、敗残兵や便衣隊がよくいて、それをやる(処刑)のが戦争だとおもっていましたから」
#6169で挙げていただいた証言と重複例もありますし、そろそろ止めましょう。
このように、目撃談は中国兵の処刑に集中しています。
では一方、#6170で挙げていただいた証言はどうでしょうか。
・大宅壮一(南京大虐殺の”真相”を聞く)
具体的な証言は全くなし。史料としての価値はゼロ。
・白井茂カメラマン
中国兵の処刑風景。民間人の殺害に関する証言無し。
・西條八十(燦たり南京入城式)
目撃したものは中国兵の死体のみ。ダーディンの報じたような民間人の死体は無し。
このように、民間人の死体を見たという証言すらありません。
では最後に、マクドナルド記者の12月18日タイムズの記事の要約を引用します。
「12日、中国兵は逃亡し始めたが、逃げる船がないと分かると混乱が始まり、安全区になだれ込み、交通部は放火された。
13日、日本軍の掃蕩が始まった。数千人の中国兵が安全区に逃げ込んだ。
14日、日本軍は大通りを軒並み掠奪し、外国人の物も掠奪した。また中国兵とみなされる者を処刑した。通りには死体が散在したが女性の死体はなかった。掃蕩は15日も続いたが街は落ち着いてきた」
掠奪――これはいけません。ですが、民間人の虐殺ではありませんね。
中国兵と「みなされる」者の処刑――誤殺もあったでしょう。ですが、その責任は戦闘員と非戦闘員を外見で識別可能とするという当然のルールを破った中国側にあります。
通りには死体が散在したが「女性の死体はなかった」――明らかに、ダーディンの報道とは食い違っていますね。
さて、#6160の質問に戻りましょう。
ダーディン、スティールの報じた南京の惨状に関する一致証言者について、何人名前を挙げられますか?
南京は平穏で死体も少なかったと証言している、名前が判明している日本人ジャーナリスト・文化人の人数を大きく上回るものではないはずですが。
(1)日本軍による民間人の大量殺害が行われた。
(2)南京市街のほとんど全ての通りには民間人の死体が散乱していた。
(3)死体の中には老人、女性、子供等、明らかに非戦闘員の死体が混じっていた。
処刑の方はここでは問題にしません。
外国人に公開された形で処刑が行われ、そのことについて国際的な非難を浴びていないのですから、当時の基準で戦争犯罪とみなされていなかったことは明らかです。
さて、上記(1)〜(3)の民間人大量殺害に関する証言は以下の通り。
・石川達三(「生きている兵隊」作者)
「私が南京に入ったのは入城式から2週間後です」
――そのときどのような虐殺をご覧になられましたか?
「大殺戮の痕跡は一ぺんも見ておりません」
・橋本登美三郎(朝日新聞社上海支局次長)
「南京の事件ねえ。全然聞いていない。もしあれば、記者の間で話にでるはずだ。記者は少しでも話題になりそうなことは互いに話にするし・・・それが仕事だからね。噂としても聞いたこともない。朝日新聞では現地記者ばかり集めて座談会もやったが、あったのなら、露骨でないにしても、抵抗があったとか、そんな話が出るはずだ」
・足立和雄(朝日新聞社南京特派員)
「私は南京大虐殺なんて見ていません。」
・佐藤振寿(東京日々新聞カメラマン)
――虐殺があったといわれますが?
「見ていません。虐殺があったと言われていますが16、7日頃になると、小さい通りだけではなく、大通りにも店が出ました。また、多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集まっていましたから、とても残虐な殺しなどがあったとは信じられません」
・浅井達三(同盟通信映画部カメラマン)
――同盟通信のなかで虐殺というようなことが話題にならなかったですか?
「なりませんでした。その頃、敗残兵や便衣隊がよくいて、それをやる(処刑)のが戦争だとおもっていましたから」
#6169で挙げていただいた証言と重複例もありますし、そろそろ止めましょう。
このように、目撃談は中国兵の処刑に集中しています。
では一方、#6170で挙げていただいた証言はどうでしょうか。
・大宅壮一(南京大虐殺の”真相”を聞く)
具体的な証言は全くなし。史料としての価値はゼロ。
・白井茂カメラマン
中国兵の処刑風景。民間人の殺害に関する証言無し。
・西條八十(燦たり南京入城式)
目撃したものは中国兵の死体のみ。ダーディンの報じたような民間人の死体は無し。
このように、民間人の死体を見たという証言すらありません。
では最後に、マクドナルド記者の12月18日タイムズの記事の要約を引用します。
「12日、中国兵は逃亡し始めたが、逃げる船がないと分かると混乱が始まり、安全区になだれ込み、交通部は放火された。
13日、日本軍の掃蕩が始まった。数千人の中国兵が安全区に逃げ込んだ。
14日、日本軍は大通りを軒並み掠奪し、外国人の物も掠奪した。また中国兵とみなされる者を処刑した。通りには死体が散在したが女性の死体はなかった。掃蕩は15日も続いたが街は落ち着いてきた」
掠奪――これはいけません。ですが、民間人の虐殺ではありませんね。
中国兵と「みなされる」者の処刑――誤殺もあったでしょう。ですが、その責任は戦闘員と非戦闘員を外見で識別可能とするという当然のルールを破った中国側にあります。
通りには死体が散在したが「女性の死体はなかった」――明らかに、ダーディンの報道とは食い違っていますね。
さて、#6160の質問に戻りましょう。
ダーディン、スティールの報じた南京の惨状に関する一致証言者について、何人名前を挙げられますか?
南京は平穏で死体も少なかったと証言している、名前が判明している日本人ジャーナリスト・文化人の人数を大きく上回るものではないはずですが。
これは メッセージ 6170 (ja2047 さん)への返信です.