南京虐殺は嘘30 嘘吐き婆夏淑琴とマギー
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/05/05 23:58 投稿番号: [5323 / 41162]
嘘吐き外国人については、#5269で紹介された以下のHPが、分かり易くまとまっていますね。
南京の第三国人(民国26年、南京のバテレン)
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa03/nank4.htm
ティンパレー、ベイツ、マギー、フィッチ、その他多くの外国人が、「南京大虐殺事件」をでっち上げることに尽力した。
そのうちの1人、マギーが作り上げた1人の支那人嘘吐き婆の話を紹介する。
まずは、そのストーリー。
―――――――――――――――――――
「マギー牧師の解説書」
フィルム四
(九) 一二月一三日、約三〇人の兵士が、南京の南東部にある新路口五番地の中国人の家にやってきて、なかに入れろと要求した。戸は馬というイスラム教徒の家主によって開けられた。兵士はただちにかれを拳銃で撃ち殺し、馬が死んだ後、兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏も撃ち殺した。馬夫人がどうして夫を殺したのか問うと、かれらは彼女も撃ち殺した。
夏夫人は、一歳になる自分の赤ん坊と客広間のテーブルの下に隠れていたが、そこから引きずり出された。彼女は、一人か、あるいは複数の男によって着衣を剥がされ強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれた。赤ん坊は銃剣で刺殺された。
何人かの兵士が隣の部屋に踏み込むと、そこには夏夫人の七六歳と七四歳になる両親と、一六歳と一四歳になる二人の娘がいた。かれらが少女を強姦しようとしたので、祖母は彼女たちを守ろうとした。兵士は祖母を拳銃で撃ち殺した。妻の死体にしがみついた祖父も殺された。二人の少女は服を脱がされ、年上の方がニ、三人に、年下の方が三人に強姦された。その後、年上の少女は刺殺され、膣に杖が押し込まれた。年下の少女も銃剣で突かれたが、姉と母に加えられたようなひどい仕打ちは免れた。
さらに兵士たちは、部屋にいたもう一人の七、八歳になる妹を銃剣で刺した。この家で最後の殺人の犠牲者は、四歳と二歳になる馬氏の二人の子どもであった。年上の方は銃剣で刺され、年下の方は刀で頭を切り裂かれた。
傷を負った八歳の少女は、母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った。彼女は、逃げて無事だった四歳の妹と一四日間そこに居続けた。二人の子どもは、ふやけた米と、米を炊いたとき鍋についたコゲを食べて暮らした。
撮影者は、この八歳の子から話の部分部分を聞き出し、いくつか細かな点で近所の人や親戚の話と照合し、修正した。この子が言うには、兵士たちは毎日やってきて、家から物を持って行ったが、二人の子どもは古シーツの下に隠れていたので発見されなかった。
このような恐ろしいことが起こり始めると、近所の人はみな、難民区に避難した。一四日後、フィルムに映った老女が近所に戻り、二人の子どもを見つけた。彼女が撮影者[の私]を、死体が後に持ち去られた広々とした場所へ案内してくれた。
彼女と夏氏の兄、さらには八歳の少女に問いただすことによって、この惨劇に関する明確な知識が得られた。このフィルムは、同じころに殺害された人の屍の群に横たわる一六歳と一四歳の少女の死体を映し出している。夏夫人と彼女の赤ん坊は最後に映し出される。
―――――――――――――――――――
【検証】
1.
支那人が犯人だった2004年の「福岡一家4人殺害事件を思い出させる残虐性だ。
現在においても、三国人が日本で行う凶悪犯罪は非常に多いが、日本人が支那や朝鮮で凶悪犯罪を行うことは殆どない。
2.
夏氏が犯人相手に懇願したり、馬夫人が犯人相手に質問している。
犯人と言葉が通じていたと考えるのが自然であり、犯人は支那人と思われる。
3.
8歳の子供が、犯行日時は12月13日9〜10時と認識していたのはおかしいし、ましてや14日間も経って記憶していたとは考えられない。
(犯行があったのは、12月10日なのか、12月11日なのか、12月12日なのか、12月13日なのか、実際のところは不明)
4.
夏淑琴の証言によれば、事件のあと、すぐ向かいが日本軍の宿泊所になり、日本兵が家の庭を通って足音が聞こえる都度、夏淑琴は布団に隠れたそうだが、四歳の妹が泣き喚いたりしなかったとは考え難い。
そもそも、傷を負い、這っていた八歳の夏淑琴が、銃殺された母の死体が横たわる部屋で、誰にも見つからず14日間四歳の妹と一緒に生き続けたのが不思議。
【結論】
夏淑琴は嘘吐き婆。
その嘘吐き婆を作り上げたのはマギー。
南京の第三国人(民国26年、南京のバテレン)
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa03/nank4.htm
ティンパレー、ベイツ、マギー、フィッチ、その他多くの外国人が、「南京大虐殺事件」をでっち上げることに尽力した。
そのうちの1人、マギーが作り上げた1人の支那人嘘吐き婆の話を紹介する。
まずは、そのストーリー。
―――――――――――――――――――
「マギー牧師の解説書」
フィルム四
(九) 一二月一三日、約三〇人の兵士が、南京の南東部にある新路口五番地の中国人の家にやってきて、なかに入れろと要求した。戸は馬というイスラム教徒の家主によって開けられた。兵士はただちにかれを拳銃で撃ち殺し、馬が死んだ後、兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏も撃ち殺した。馬夫人がどうして夫を殺したのか問うと、かれらは彼女も撃ち殺した。
夏夫人は、一歳になる自分の赤ん坊と客広間のテーブルの下に隠れていたが、そこから引きずり出された。彼女は、一人か、あるいは複数の男によって着衣を剥がされ強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれた。赤ん坊は銃剣で刺殺された。
何人かの兵士が隣の部屋に踏み込むと、そこには夏夫人の七六歳と七四歳になる両親と、一六歳と一四歳になる二人の娘がいた。かれらが少女を強姦しようとしたので、祖母は彼女たちを守ろうとした。兵士は祖母を拳銃で撃ち殺した。妻の死体にしがみついた祖父も殺された。二人の少女は服を脱がされ、年上の方がニ、三人に、年下の方が三人に強姦された。その後、年上の少女は刺殺され、膣に杖が押し込まれた。年下の少女も銃剣で突かれたが、姉と母に加えられたようなひどい仕打ちは免れた。
さらに兵士たちは、部屋にいたもう一人の七、八歳になる妹を銃剣で刺した。この家で最後の殺人の犠牲者は、四歳と二歳になる馬氏の二人の子どもであった。年上の方は銃剣で刺され、年下の方は刀で頭を切り裂かれた。
傷を負った八歳の少女は、母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った。彼女は、逃げて無事だった四歳の妹と一四日間そこに居続けた。二人の子どもは、ふやけた米と、米を炊いたとき鍋についたコゲを食べて暮らした。
撮影者は、この八歳の子から話の部分部分を聞き出し、いくつか細かな点で近所の人や親戚の話と照合し、修正した。この子が言うには、兵士たちは毎日やってきて、家から物を持って行ったが、二人の子どもは古シーツの下に隠れていたので発見されなかった。
このような恐ろしいことが起こり始めると、近所の人はみな、難民区に避難した。一四日後、フィルムに映った老女が近所に戻り、二人の子どもを見つけた。彼女が撮影者[の私]を、死体が後に持ち去られた広々とした場所へ案内してくれた。
彼女と夏氏の兄、さらには八歳の少女に問いただすことによって、この惨劇に関する明確な知識が得られた。このフィルムは、同じころに殺害された人の屍の群に横たわる一六歳と一四歳の少女の死体を映し出している。夏夫人と彼女の赤ん坊は最後に映し出される。
―――――――――――――――――――
【検証】
1.
支那人が犯人だった2004年の「福岡一家4人殺害事件を思い出させる残虐性だ。
現在においても、三国人が日本で行う凶悪犯罪は非常に多いが、日本人が支那や朝鮮で凶悪犯罪を行うことは殆どない。
2.
夏氏が犯人相手に懇願したり、馬夫人が犯人相手に質問している。
犯人と言葉が通じていたと考えるのが自然であり、犯人は支那人と思われる。
3.
8歳の子供が、犯行日時は12月13日9〜10時と認識していたのはおかしいし、ましてや14日間も経って記憶していたとは考えられない。
(犯行があったのは、12月10日なのか、12月11日なのか、12月12日なのか、12月13日なのか、実際のところは不明)
4.
夏淑琴の証言によれば、事件のあと、すぐ向かいが日本軍の宿泊所になり、日本兵が家の庭を通って足音が聞こえる都度、夏淑琴は布団に隠れたそうだが、四歳の妹が泣き喚いたりしなかったとは考え難い。
そもそも、傷を負い、這っていた八歳の夏淑琴が、銃殺された母の死体が横たわる部屋で、誰にも見つからず14日間四歳の妹と一緒に生き続けたのが不思議。
【結論】
夏淑琴は嘘吐き婆。
その嘘吐き婆を作り上げたのはマギー。
これは メッセージ 5266 (deliciousicecoffee さん)への返信です.