続\南京事件の証人とされる外国人
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/11 02:38 投稿番号: [37619 / 41162]
三、昭和十三年・月六日に掃任したアメリカ大使館員
(エスピー副領事)
一月十五日からこ十四日の間に作成された大使館通信、通称エスピー報告で有名。
そこには宣教師報告の影響が随所に見える。
(アリソン三等書記官)
エスピー報告はアメリカ人の記述に基づくことを附記しているアリソンも、彼等の報告に振り回され、リッグスと共に日本軍歩哨に殴打されるなどした。
しかし東京裁判には出廷せず、後には駐日大使となった。
四、一月十日に帰任したドイツ大使館員
(ローゼン書記官)
アメリカ人宣教師顔負けの強烈な反日的言動を続けて、ラーべも手を焼いていた。
そのようなローゼン文書が、友好国ドイツさえ日本軍を非難していた証拠とされている。
ユダヤ人祖母を持っていたため、一九三八年のうちに休職に追い込まれた。
(シャルフェンベルク事務官)
帰任直後は日本軍をチンギス・ハ−ン軍の暴逆になぞらえていたが、やがて真相が分かったらしく、「アメリカ人宣教師に手なずけられたラーべ」と言う批判をしている。
五、上海にいた新聞記者
(H・アベンド)
ニューヨーク・タイムズ。
打続く日本軍の暴逆情報に、彼等は反乱状態にあるのではないかと誤解した。
(H・テインパレー)
オーストラリア人でフリーランサーの記者。
当時はマンチェスター・ガーディアンの記者だったが、昭和十三年一月頃から、国民政府中央宣伝部顧問になっていた。
「南京(大虐殺)事件」外国人情報の流れ
1.12/15午前中に安全区内を廻ったラーべの実見談がペイツによって改竄され、メモの形で新聞記者に渡って12/15以降の記事となる。2.12/16以降、国際委員会と金陵大学緊急委員会から、彼等の得た伝聞情報が文書になって日本大使館に提出さる。
2.1/7以降、文書の提出先がアメリカ大使館に切替えらる。
3.2/初旬以降、以上の情報を主とする安全地帯の記録と外国人の日記・書信頼が、ベイツからティンパレーに送られ、「外国人の見た日本軍の暴逆」の資料となる。
これは メッセージ 37618 (maximirion さん)への返信です.
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