「植民地解放戦争」という虚言について③
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/15 21:04 投稿番号: [37052 / 41162]
当時の日本帝国に、本当に
植民地解放の志向が
あったのなら、
世界に先駆けて 解放・独立を求める 植民地の人々の声に応え、
率先して 実行していたはずだ。 しかし、現実は 反対だった。
例えば 朝鮮では、自主権回復・独立を求める運動が繰り返され、
その都度 徹底した弾圧が 続けられていた。
有名な事例では、朝鮮の「3・1独立運動」が あげられる。
第一次世界大戦後、脱植民地化が 歴史の潮流として 広がり、
民族運動が 世界的な高まりを示すなかで、1919年2月8日、
在日留学生が東京で「独立宣言」を起草し、ひそかに 印刷した
宣言書が、日本の警察の目をくぐって 宗教者や学生達によって
全国に運ばれた。 当時の日本で、朝鮮独立などと主張するのは、
命を捨てる覚悟がなければ、できなかった。
3月1日、運動は、ソウル、平壌、開城などの都市で始められた。
ソウルでは パゴダ公園に集まった学生たちが正午の鐘を合図に、
「独立万歳」を叫んで行進、たちまち 数万の群衆デモとなった。
3月中旬には、朝鮮全土に独立運動が 拡大していった。
以下に、ウィキペディアの解説の一部を 抜粋して引用する。
【三・一運動】
1919年3月1日に 日本統治時代の朝鮮で起こった運動。
(中略) 中心となったのは 天道教やキリスト教、そして
仏教の指導者たちである。彼等は会合を重ね大衆化・一元化・
非暴力の三原則を取り決めた。(中略) 独立宣言は、以下の
一文から始まっている。
「我らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民である
事を宣言する。 これを以て世界万邦に告げ 人類平等の大義を
克明にし、これを以て子孫万代に告げ 民族自存の正当な権利を
永久に所有せしむるとする。」
タイトルに、そして冒頭の一文に明確に述べられているように、
この宣言書は 何よりも朝鮮が独立した国家であること、及び
国民である朝鮮人民が自由であることに重きを置いたものであり
そしてそれは 「人類平等の大義」と 「民族自存」という原理に
基づくものとして 捉えられている。 (中略)
パゴダ公園には 数千人規模の学生が集まり、その後市内を
デモ行進した。 道々「独立万歳」と叫ぶデモには、次々に
市民が参加し、数万人規模となったという。 (中略)
朝鮮半島全体に広がり、数ヶ月に渡って示威行動が展開された。
朝鮮総督府は 警察に加え軍隊も投入して治安維持に当たった。
以上、ウィキの解説から 一部引用したものだ。
独立運動は、日本の 徹底した武力弾圧によって鎮圧されたが、
この運動の影響は大きく、同年4月の インドの非暴力運動や
同年5月に起きた 中国の五・四運動などの 先駆けとなった。
そして、支配国である日本帝国自身にも 大きな衝撃を与えた。
ただし、日本国内では、この独立運動は 詳しく 報じられず、
朝鮮人に共感を寄せたのは、白樺派の柳宗悦ら少数にとどまった。
もとより 当時の日本に 植民地解放の意志などは 微塵もなく、
独立という 朝鮮民族の悲願は、結局のところ 日本帝国の敗戦、
「皇軍」の崩壊を 待たなければ、実現されなかった。
世界に先駆けて 解放・独立を求める 植民地の人々の声に応え、
率先して 実行していたはずだ。 しかし、現実は 反対だった。
例えば 朝鮮では、自主権回復・独立を求める運動が繰り返され、
その都度 徹底した弾圧が 続けられていた。
有名な事例では、朝鮮の「3・1独立運動」が あげられる。
第一次世界大戦後、脱植民地化が 歴史の潮流として 広がり、
民族運動が 世界的な高まりを示すなかで、1919年2月8日、
在日留学生が東京で「独立宣言」を起草し、ひそかに 印刷した
宣言書が、日本の警察の目をくぐって 宗教者や学生達によって
全国に運ばれた。 当時の日本で、朝鮮独立などと主張するのは、
命を捨てる覚悟がなければ、できなかった。
3月1日、運動は、ソウル、平壌、開城などの都市で始められた。
ソウルでは パゴダ公園に集まった学生たちが正午の鐘を合図に、
「独立万歳」を叫んで行進、たちまち 数万の群衆デモとなった。
3月中旬には、朝鮮全土に独立運動が 拡大していった。
以下に、ウィキペディアの解説の一部を 抜粋して引用する。
【三・一運動】
1919年3月1日に 日本統治時代の朝鮮で起こった運動。
(中略) 中心となったのは 天道教やキリスト教、そして
仏教の指導者たちである。彼等は会合を重ね大衆化・一元化・
非暴力の三原則を取り決めた。(中略) 独立宣言は、以下の
一文から始まっている。
「我らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民である
事を宣言する。 これを以て世界万邦に告げ 人類平等の大義を
克明にし、これを以て子孫万代に告げ 民族自存の正当な権利を
永久に所有せしむるとする。」
タイトルに、そして冒頭の一文に明確に述べられているように、
この宣言書は 何よりも朝鮮が独立した国家であること、及び
国民である朝鮮人民が自由であることに重きを置いたものであり
そしてそれは 「人類平等の大義」と 「民族自存」という原理に
基づくものとして 捉えられている。 (中略)
パゴダ公園には 数千人規模の学生が集まり、その後市内を
デモ行進した。 道々「独立万歳」と叫ぶデモには、次々に
市民が参加し、数万人規模となったという。 (中略)
朝鮮半島全体に広がり、数ヶ月に渡って示威行動が展開された。
朝鮮総督府は 警察に加え軍隊も投入して治安維持に当たった。
以上、ウィキの解説から 一部引用したものだ。
独立運動は、日本の 徹底した武力弾圧によって鎮圧されたが、
この運動の影響は大きく、同年4月の インドの非暴力運動や
同年5月に起きた 中国の五・四運動などの 先駆けとなった。
そして、支配国である日本帝国自身にも 大きな衝撃を与えた。
ただし、日本国内では、この独立運動は 詳しく 報じられず、
朝鮮人に共感を寄せたのは、白樺派の柳宗悦ら少数にとどまった。
もとより 当時の日本に 植民地解放の意志などは 微塵もなく、
独立という 朝鮮民族の悲願は、結局のところ 日本帝国の敗戦、
「皇軍」の崩壊を 待たなければ、実現されなかった。
これは メッセージ 37051 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.