Re: 半藤一利の著書は嘘のオンパレード
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2009/05/26 23:04 投稿番号: [28496 / 41162]
8月20日からの、フイ高地の攻防
8月20日、
ソ連北集団軍の先鋒は側面の満州国軍を駆逐し、そのままフイ高地で日本軍 井置部隊の759名(基礎配備は809名だが、1個小隊を森田部隊へ、半個小隊を師団司令部へ派遣)を攻撃したが撃退され、主力を展開せざるを得なくなった。しかし第六〇一連隊長、スダク少佐は戦死、ソ連軍の攻撃は敗退し、予備軍から以下を送った。
8月21日、
予備の第九装甲車旅団と機関銃2個大隊を送り攻撃。北集団シェニコフ指揮官解任、アレクセンコ大佐に交替した。
8月22日、
予備の第六戦車旅団第四大隊を送り攻撃。
8月23日、
予備の第二一二空挺旅団と自動車積載国境警備2個中隊を投入して攻撃、これで、ジューコフの予備はなくなった。結局、ソ連軍はここに3万を投入したが、それでも占領できなかった。ソ連は日本軍は2個連隊を増援したと述べているが、日本軍は増援どころか、水も食糧も弾薬も送られていない。
8月24日、
戦闘継続
8月25日、
井置部隊の269名(牛島康允氏)が脱出。5日間も飲まず食わずだった。大砲はすべて破壊され、小銃も塵と砂で発射不能となり、戦車相手に白兵戦をするしかなくなった。つまり戦力を失い師団司令部とは連絡がつかないまま撤退した。3万名対759名では四〇対一の戦いだが、後半は日本兵士は減少し大砲、戦車なしでは無限の差がある。まさに万夫不当を地で行くものだった。
これを惨敗とは言えない。ソ連側も、この戦闘は日本軍の勝利とした。フイ高地の日本軍を「英雄」と称し、ソ連側の北集団軍司令官には「ソ連英雄」の称号を与えられなかった。ここに単に損耗率の数字だけでは評価できない戦闘の意義の実際がある。
(注)ソ連軍は北方路に3万の予備を投じて司令部直属の予備はゼロになったと言うが、かなり後方にも配置している。
ソ連軍の主進路は南方路であり、激しい攻撃をしており、後にかなりの動員があったのが分かった(後述)。また、井置隊には脱出以前に負傷や命令などで後方に下がった兵達がおり、8月20日から25日までの戦死者は182名、行方不明21名だから、これらを除けば、部隊としての生存者は556名になる。
この戦闘に関して、半藤一利氏(「ノモンハンの夏」)は、ソ連側はフイ高地で日本兵「600以上の将兵の死体を壕から引き出された」という。と、書き、実際の日本兵士の戦死182名を指摘しないのは問題である。さらに「悲惨をいくら強調しても強調しすぎることはないであろう」と、述べているが、戦死・行方不明合計203名を悲惨とは思っていないのである。戦史を書くのではないと遁辞を述べているが、小説だからと、悲惨を強調する為に事実を隠蔽するのはモラルに反する。五味川氏のフイ高地の脱出者は68名とあるのは捜索第1中隊のみの数字で、配属された部隊の脱出者を無視したものである。次いでながら、半藤氏の「(張鼓峰で)日本軍は叩かれぱなしの手ひどい損害を蒙る」「ノモンハンの夏」(37頁)とか、日本の戦車は「対戦車戦能力はゼロの火砲」(183頁)などは事実の基本的調査を全く行っていない間違いがある。
P40-P41
小田洋太郎・田端元共著『ノモンハン事件の真相と戦果――ソ連軍撃破の記録―』
8月20日、
ソ連北集団軍の先鋒は側面の満州国軍を駆逐し、そのままフイ高地で日本軍 井置部隊の759名(基礎配備は809名だが、1個小隊を森田部隊へ、半個小隊を師団司令部へ派遣)を攻撃したが撃退され、主力を展開せざるを得なくなった。しかし第六〇一連隊長、スダク少佐は戦死、ソ連軍の攻撃は敗退し、予備軍から以下を送った。
8月21日、
予備の第九装甲車旅団と機関銃2個大隊を送り攻撃。北集団シェニコフ指揮官解任、アレクセンコ大佐に交替した。
8月22日、
予備の第六戦車旅団第四大隊を送り攻撃。
8月23日、
予備の第二一二空挺旅団と自動車積載国境警備2個中隊を投入して攻撃、これで、ジューコフの予備はなくなった。結局、ソ連軍はここに3万を投入したが、それでも占領できなかった。ソ連は日本軍は2個連隊を増援したと述べているが、日本軍は増援どころか、水も食糧も弾薬も送られていない。
8月24日、
戦闘継続
8月25日、
井置部隊の269名(牛島康允氏)が脱出。5日間も飲まず食わずだった。大砲はすべて破壊され、小銃も塵と砂で発射不能となり、戦車相手に白兵戦をするしかなくなった。つまり戦力を失い師団司令部とは連絡がつかないまま撤退した。3万名対759名では四〇対一の戦いだが、後半は日本兵士は減少し大砲、戦車なしでは無限の差がある。まさに万夫不当を地で行くものだった。
これを惨敗とは言えない。ソ連側も、この戦闘は日本軍の勝利とした。フイ高地の日本軍を「英雄」と称し、ソ連側の北集団軍司令官には「ソ連英雄」の称号を与えられなかった。ここに単に損耗率の数字だけでは評価できない戦闘の意義の実際がある。
(注)ソ連軍は北方路に3万の予備を投じて司令部直属の予備はゼロになったと言うが、かなり後方にも配置している。
ソ連軍の主進路は南方路であり、激しい攻撃をしており、後にかなりの動員があったのが分かった(後述)。また、井置隊には脱出以前に負傷や命令などで後方に下がった兵達がおり、8月20日から25日までの戦死者は182名、行方不明21名だから、これらを除けば、部隊としての生存者は556名になる。
この戦闘に関して、半藤一利氏(「ノモンハンの夏」)は、ソ連側はフイ高地で日本兵「600以上の将兵の死体を壕から引き出された」という。と、書き、実際の日本兵士の戦死182名を指摘しないのは問題である。さらに「悲惨をいくら強調しても強調しすぎることはないであろう」と、述べているが、戦死・行方不明合計203名を悲惨とは思っていないのである。戦史を書くのではないと遁辞を述べているが、小説だからと、悲惨を強調する為に事実を隠蔽するのはモラルに反する。五味川氏のフイ高地の脱出者は68名とあるのは捜索第1中隊のみの数字で、配属された部隊の脱出者を無視したものである。次いでながら、半藤氏の「(張鼓峰で)日本軍は叩かれぱなしの手ひどい損害を蒙る」「ノモンハンの夏」(37頁)とか、日本の戦車は「対戦車戦能力はゼロの火砲」(183頁)などは事実の基本的調査を全く行っていない間違いがある。
P40-P41
小田洋太郎・田端元共著『ノモンハン事件の真相と戦果――ソ連軍撃破の記録―』
これは メッセージ 28495 (deliciousicecoffee さん)への返信です.