南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 半藤一利の著書は嘘のオンパレード

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2009/05/26 22:42 投稿番号: [28495 / 41162]
  半藤一利氏「ノモンハンの夏」(34頁)は、日満議定書で『これには二つの密約がしかも公然と結ばれていた。1つは満州国居留日本人諸権利の確認尊重であるが、重要なのは第二条である。「日本国および満州国は締約国の地方の安寧および治安に対する一切の脅威は、同時に締約国の他方の安寧および存立に関する脅威たるの事実を確認し、両国共同して国家の防衛に当るべきと約す。これがため、所要の日本国軍は満州国内に駐屯するべきとする」要するに、満州国を侵すものは日本帝国を侵すものにひとしい、であるから関東軍が満州防衛をひきうけると謳いあべた密約である』と記し、
  「2つの密約」として、日本と、関東軍の陰謀と批難の口調だが、当時の満州国が十分な戦力を持たなかったのは明らかで、日本が防衛を行うのも建国の状況から当然のなり行きである。「公然たる密約」とは意味不明で、公然では密約にはならない。親密の意味に捕らえたのであろうか。これは密約どころではなく、公然と議定書に書き、官報で公布し周知せしめて満州国を守ったものである。後の条約集にも記載されており、また、当時の朝日新聞9月15日号に「一切の権益を確認し、共同防衛を約す」と大見出しに出ている。
  どの国との共同防衛条約でも、趣旨は、「その国への侵犯は共同防衛国への侵犯への侵犯とみなすとして軍事援助をする」と言うもので、それでないと共同防衛条約にならない。「謳いあげた密約」などは、悪意に解釈するもので、不当である。ソ連などは共同防衛条約を結んだ上、自ら事件を起こして条約違反を口実に侵略する悪辣さである。
  また、半藤氏の「侵されても侵さない」(37頁)などの方針の存在は疑問である。
  「侵されても侵さない」方針を変更して、「満ソ国境処理要綱を作った」として、同書44頁に「ソ軍の不法行為にたいしては周到なる準備のもとに徹底的にこれを贋懲し、ソ軍を慴伏せしめその野望を初動において封殺破摧す」と、引用してあるが、この引用文には、「一、軍は侵さず、侵さしめざるを満州防衛の根本基調とす之が為満ソ国境上におけるソ連軍の不法行為にたいしては(以下略)」という、最初の重要な部分を抜かしているのは作為的に誤解へ誘導するものであり、原文改竄である。
  また、「挑戦的な満ソ国境処理要綱」といい、これを「侵されても侵さないという、従来の方針に背く、断じて侵させない」と、するものだった。と説明しているが、これも問題である。
  ノモンハン戦開始以後の6月29日に大陸指四一九号で国境外への飛行制限が指達され、この時、大陸命第三二〇号で、関東軍は越境したソ蒙軍を必ずしも撃破、撃退しなくても良い事になったもので「侵されても侵さない」などの方針が「満ソ国境処理要綱」以前にあったか疑問であるが、一方、この要綱を半藤氏は、自ら「昭和8年5月6日付けで配布された『極秘対ソ戦闘要綱』から一歩も外に出ていない」と記し、新たな挑戦的なものでないことを認める矛盾を書いている(45頁)。また、これは、「侵されても侵さない」の方針の存在を氏自ら否定される意味であり、氏の思考は分裂している。
  三木秀雄教授は、昭和天皇は「満州国境を厳守せよと大命を下してあった」から「侵入ソ連兵との交戦は理由のあることであった」(昭和天皇独白録――文芸春秋社)とあり、従って、満ソ国境紛争処理要綱は中央の認めたもので関東軍の独走ではない(「ノモンハン・ハルハ河戦争、シンポジウム」49頁   原書房1992年)と述べ、「侵されても侵さない」方針などない事が分かる。

P25-P26
小田洋太郎・田端元共著『ノモンハン事件の真相と戦果――ソ連軍撃破の記録―』
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