南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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アジアの教科書 カンボジアの教科書3

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/07/14 11:10 投稿番号: [20049 / 41162]
この他、1945年初め60万人いたインドシナ方面の日本軍への補給を責任をもって行うようフランスに強要した。
日本の指令はインドシナ銀行に次に示すような多額の金額を提供させるように仕向けるものであった。
1940年=600万リエル
1941年=5800万リエル
1942年=8660万リエル
1943年=1億1720万リエル
1944年=3億1600万リエル
を要求したが、当事のインドシナ全体の予算は2億1900万リエルであった。この金額を日本製品への代価として清算しなければならなかった。がしかし、実際には代価に見合うに日本製品などありはしなかった。これはインドシナ人民に対する新たな重荷であった。
さらに、日本はフランスに強制して、カンプチア農民に田畑を供出させ、ジュート、ヒマなど、日本軍需品のための工業用植物を植えさせた。これが元で1944年から1945年までの間にカンプチア人民の一部が餓死することとなった。
政策面では日本はタイの反動的政府(ピブン内閣)をそそのかしインドシナでフランスと戦争をさせた(1940年12月〜41年1月)そして   日本は戦争を収拾するために中立の立場をとり、バッタンバン州とシエムレアブ州、コンポントム州、ストゥレン州のそれぞれの一部をタイに割譲するように強要した。
日本は2つのごまかしのスローガンを掲げた。{大東亜共栄圏}「外国のくびきからの解放のための歴史的使命」である。「ユバン」という青年団を組織した、これはソン・ゴク・タンとポック・チューンの二人を利用して、フランスから権力を奪取する力を養成し、親日傾向の青年達に「大クメール」民族主義思想を鼓舞するものであった。
フランスと日本の帝国主義者たちはカンプチア人民の財産を奪いカンプチア人民に何も考えさせないようにごまかしておく為の策略を考え、また、互いに権力を奪い取る隙を覗っていた。

第二次世界大戦期のカンプチア人民の闘争運動
日本がカンプチアを支配しに来たとき声高に民族主義を掲げたのは知識階級の官吏、と僧侶だけであった、他の意図日とは日本軍の欺瞞の宣伝の罠に陥ってしまった。
ハエム・チアウ師
知識階級の代表者でありプノンペンの仏教研究所の教授で熱心な民族主義者である。師は国際状況において互いに平等な関係にあるべきであることを主張し、兄弟国の独立の闘争運動に理解を示そうとした。「黒い星の協会」を設立し、「土地   森林   海   寺院はカンプチア人民の所有物であるにもかかわらず、カンプチア人民はそれらのものの所有権を有してはいない。フランス植民地主義者がそれら全部を支配している、我々民族と自分達の利益を権利を守るために、固い連帯で結ばれなくてはならない」
シアヌーク王は事情を聞くという口実でハエム・チアウ師を宮殿に呼んで連れて来させ、持っている文書類を没収し、裏切り者として告発し還俗させていまった。(傘戦争)1943年メコットララーチ島(政治犯用の刑務所)に送られ虐待の末死亡した。
1945年3月9日夜   日本はフランスが戦う前に計画を実行に移さねばと考え、サイゴン市にいた日本の代表はドゥクー総督に通達を送り、インドシナのフランス軍を日本の監督下におくことを命令した。このときドゥクーの返事が送れたために日本はフランスが命令を拒否しているものと考え、深夜日本は分ランス軍全体に攻撃をかけた。そしてフランス軍は倒され、フランス総督ドゥクーとフランス高官は逮捕された。
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