南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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アジアの教科書 カンボジアの教科書 1

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/07/14 10:52 投稿番号: [20045 / 41162]
8年生用
「カンプチアの歴史」(クメール語)
教育省編
ホーチンミン市出版

2課   第二次世界大戦期(1939〜45年)
一、フランス=日本の二重のくびきの下でのカンプチア

1939年9月第二次世界大戦が勃発した。
フランスは敗北した、フランスの反動資本家はドイツのファシストに対して1940年の敗北を受け入れペタン元帥を擁立して権力の座につけた。
このような状況のもとでドイツと同盟したファシスト日本はフランスを放逐し、インドシナ半島を日本の支配下におこうとして、直ちにインドシナに侵攻した。
フランスの植民地主義者たちと日本ファシストたちは互いに敵対し相手を追放する機会をうかがう段階に入った。
しかし、初めのうちはインドシナ人民の民族解放運動をつぶす為にフランスと日本は友好的関係にあるかのように見せかけていた。

フランスの植民地主義者は2つの危機に直面していた。フランスの駆逐を目的とする日本とインドシナ人民の民族解放革命の炎とである。
巧妙な策略によってフランス植民地主義者は自ら植民地支配制度を確固たる者とすることが出来た。
フランスは自身が支配する人民の全てを失わないようにしようとして日本に権益の一部を分け与えることで、日本と妥協する道を選んだ。
1940年8月には日本から強制があったわけでもないのに、インドシナにおける日本の軍事上経済上の権益を認める条約に署名した(松岡・アンリ協定)

1940年9月には日本軍はランソン地域に侵入し,支配した(北部仏印進駐)   フランス植民地軍は撤退し日本にインドシナ北部を譲渡する条約を結ばなければならなかった。(日・仏印軍事細目協定)

1941年9月インドシナ総督ドゥクーは新たに日本との間に「インドシナ地域共同保護条約」という降伏条約を結びカンプチアを含むインドシナ全土に日本軍が駐留することを承認した。
太平洋地域において、アメリカ、イギリス、と日本との間に戦争が勃発してから日本のファシストたちはドゥクーに一つの条約に署名するよう強制した。その条約(日・仏印軍事協定)はアメリカ、イギリスの2国が日本軍を攻撃する場合に備えてインドシナのフランス植民地政府を、日本と共同してアメリカ、イギリスを相手に戦わせることを目的とするものであった。
さらに、フランスはその条約で「日本軍の軍事行動を容易にする条件をつくり」「日本軍に食糧を供給し、兵舎を建設し日本軍の安全を保障する為にインドシナにおける社会秩序を維持」しなければならなかった。
この条約はビシー政府と日本の軍国主義者が連合国とインドシナ人民とを相手に戦うために結託していたことを証明している。
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