アジアの教科書 ベトナムの教科書 3
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/07/14 10:47 投稿番号: [20044 / 41162]
第11課
8月総蜂起の成功、ベトナム民主共和国の誕生
1. 同盟軍に対するファシスト日本の降伏、総蜂起の機会の到来
1945年の3月9日以後、インドシナ共産党とべトミンは日本の対仏クーデターが勢力の衰えの兆候であり、日本の「解放」のスローガンが絵に描いたモチであり、親日裏切り一味の「独立」スローガンが人殺しの毒饅頭であることを我が人民に繰り返し明らかにした。
1945年5月ファシストドイツが完全に崩壊した。ファシスト日本は一層孤立を深め、殲滅される日が近づく。8月8日ソ連は対日宣戦を布告し、怒涛のごとく満州に進行して日本関東軍を掃討した。8月13日日本政府は降伏を宣言し、さらに15日同盟国に対する無条件降伏文書に署名した。
2. 総蜂起指令
タンチャオ国民大会
状況の急変にともない、1945年8月13日党は全国会議で政権奪取のための総蜂起指令を決定し蜂起委員会を創設した。そして、1945年8月13日夜蜂起委員会は第一号指令を発し全国民に政権奪取の蜂起を呼びかけた。
軍指令
全国民の兵士、民衆に告ぐ
1945年8月13日正午ファシスト日本は連合国軍に降伏し、日本軍は全ての戦線で崩壊した、われわれの主要敵は倒れた。
総蜂起の時は来た。1945年8月16日タンチアオ村でべトミン総司令部の召集により全国から代表60名が3地域より集まった。
初めて指導者ホーチミンが全国の代表の前に姿を現した。
全土の政権奪取とべトミン10大政策に関する歴史的決議を採択した、同時に全土解放民族委員会の樹立を決定した。
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1945年8月日本降伏後
べトミンは「ベトナム民主共和国」建国を決議した。しかし、ベトナムは再び対仏。対米の「ベトナム戦争」の苦難を体験させられることになった。対米「ベトナム戦争」では大戦中日本の「捨石」となった沖縄が米軍の重要な基地となった。
これは メッセージ 20043 (yominokuni56 さん)への返信です.
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