アジアの教科書 ベトナムの教科書 2
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/07/14 10:45 投稿番号: [20043 / 41162]
日仏の狡猾な手段
残虐な略奪行為と侵略の陰謀を隠すとともにインドシナにおける唯一の支配者の地位に踊り出る準備のため、ファシスト日本は進駐当初から数多くの邪悪な政策を弄した。まず、チャン・チョン・グエン・スアン・チューなど、フランス植民地主義になにがしかの不満を持つ知識人や名士あるいはグエン・テー・ギエップのようなフランスの古いスパイといった連中を秘密裡に集め親日組織つくりを手助けした「大越民正」「大越国社」「越南愛国」「復国」「大越国家連盟」などである。彼らは南部の「カオダイ」「ホアハオ」といった反仏傾向の宗教組織も利用した。
そして、これらのグループは「越南復興同盟会」という名の親日統一組織に糾合され、日本の傀儡政権の受け皿つくりをした。
と同時に日本は「大東亜共栄圏」なるペテンを謳い文句にして、彼らの文化や力の「無敵」性を宣伝する為、日本語教材を大量に出版したり、日本語学校を開設したり、展覧会や日本映画の上映会を開いたり、またインドシナと日本の留学生交換を行ったりした。
一方フランス植民地主義者は当事彼らを倒そうと狙う勢力、ファシスト日本とインドシナ各目に対処する為に二面政策をとった。
一方では我が革命戦士や愛国者に対するテロや逮捕を続行した。
インドシナ民主戦線期以来のいくつかの「議会」は全て解散させられた。
自分達は味方であって敵ではないと最高学歴を持つベトナム人の官吏・士官・査察警官への登用を図った。
2. 日本のフランス打倒クーデターと抗日救国運動の高揚
日本のフランス打倒クーデター(1945年3月9日)
1944年の後半以降ヨーロッパおよび太平洋戦線における日独ファシスト陣営の相次ぐ失敗とフランス国内の情勢変化(ペタン政府の崩壊,ドゴール政府の権力掌握)により、インドシナのフランス勢力は息を吹き返してきた。
密かなねらいは連合国軍が日本軍攻撃の為インドシナに侵攻する際日本を倒しかつての地位を回復することであった。
日本もこのねらいは察知していたがフランスの権限を奪うことはあえてしなかった。フランスが必ず抵抗し、この時期日本にとって望ましくない深刻な衝突が起きる可能性があると分かっていたからである。こうして日仏両敵国とも再び一時的和解を図ったのである。
しかし、1945年3月9日夜から10日にかけて日本軍はクーデターを決行し、インドシナのフランス勢力は屈辱的な全面降伏をした。
フランスを蹴散らしたのち、「インドシナの各民族の独立を助ける」と日本政府は声明し、親日裏切売国奴一派は「ベトナム独立」をさけんだ。
しかし、その後のあからさまな事実が声明のこけおどしで、ペテンの所以を明らかにしている。
クーデターの4日後10指に上る軍人や政客がフランスに代わってインドシナの総督・理事長官・知事などの地位をしめたのである。
日本は古い権力機構を廃止し、親日派のチャン・チョン・キムにべトナム傀儡政権を作らせ傀儡のバオダイに国王の名称を与えた。この一派も「愛国・愛民」を装うとしたが、次第に無力をされけだした。実際はインドシナの旧総督に代わって日本の「最高顧問」が全ての権限を握っていたからである。
彼らは日本が一層狡猾にかつより多く我が人民から搾取することを許した。
田畑への麻の強制植付けなどは依然として行われ、飢饉は一層深刻となった。
その上に日本の数限りない残虐行為はべトバックにおけるべトミン根拠地への攻撃・逮捕者の拷問・殴打・拘禁・銃殺・陵辱・強奪などにより民衆を恐怖に陥れた。こうして、瞬くうちにファシスト日本の偽りの恩情の姿が明らかとなり、親日傀儡一派の「独立」の仮面がすっかりはがれてしまった。我が人民は日増しに敵国日本を憎み、親日傀儡一派を嫌悪するようになった。
残虐な略奪行為と侵略の陰謀を隠すとともにインドシナにおける唯一の支配者の地位に踊り出る準備のため、ファシスト日本は進駐当初から数多くの邪悪な政策を弄した。まず、チャン・チョン・グエン・スアン・チューなど、フランス植民地主義になにがしかの不満を持つ知識人や名士あるいはグエン・テー・ギエップのようなフランスの古いスパイといった連中を秘密裡に集め親日組織つくりを手助けした「大越民正」「大越国社」「越南愛国」「復国」「大越国家連盟」などである。彼らは南部の「カオダイ」「ホアハオ」といった反仏傾向の宗教組織も利用した。
そして、これらのグループは「越南復興同盟会」という名の親日統一組織に糾合され、日本の傀儡政権の受け皿つくりをした。
と同時に日本は「大東亜共栄圏」なるペテンを謳い文句にして、彼らの文化や力の「無敵」性を宣伝する為、日本語教材を大量に出版したり、日本語学校を開設したり、展覧会や日本映画の上映会を開いたり、またインドシナと日本の留学生交換を行ったりした。
一方フランス植民地主義者は当事彼らを倒そうと狙う勢力、ファシスト日本とインドシナ各目に対処する為に二面政策をとった。
一方では我が革命戦士や愛国者に対するテロや逮捕を続行した。
インドシナ民主戦線期以来のいくつかの「議会」は全て解散させられた。
自分達は味方であって敵ではないと最高学歴を持つベトナム人の官吏・士官・査察警官への登用を図った。
2. 日本のフランス打倒クーデターと抗日救国運動の高揚
日本のフランス打倒クーデター(1945年3月9日)
1944年の後半以降ヨーロッパおよび太平洋戦線における日独ファシスト陣営の相次ぐ失敗とフランス国内の情勢変化(ペタン政府の崩壊,ドゴール政府の権力掌握)により、インドシナのフランス勢力は息を吹き返してきた。
密かなねらいは連合国軍が日本軍攻撃の為インドシナに侵攻する際日本を倒しかつての地位を回復することであった。
日本もこのねらいは察知していたがフランスの権限を奪うことはあえてしなかった。フランスが必ず抵抗し、この時期日本にとって望ましくない深刻な衝突が起きる可能性があると分かっていたからである。こうして日仏両敵国とも再び一時的和解を図ったのである。
しかし、1945年3月9日夜から10日にかけて日本軍はクーデターを決行し、インドシナのフランス勢力は屈辱的な全面降伏をした。
フランスを蹴散らしたのち、「インドシナの各民族の独立を助ける」と日本政府は声明し、親日裏切売国奴一派は「ベトナム独立」をさけんだ。
しかし、その後のあからさまな事実が声明のこけおどしで、ペテンの所以を明らかにしている。
クーデターの4日後10指に上る軍人や政客がフランスに代わってインドシナの総督・理事長官・知事などの地位をしめたのである。
日本は古い権力機構を廃止し、親日派のチャン・チョン・キムにべトナム傀儡政権を作らせ傀儡のバオダイに国王の名称を与えた。この一派も「愛国・愛民」を装うとしたが、次第に無力をされけだした。実際はインドシナの旧総督に代わって日本の「最高顧問」が全ての権限を握っていたからである。
彼らは日本が一層狡猾にかつより多く我が人民から搾取することを許した。
田畑への麻の強制植付けなどは依然として行われ、飢饉は一層深刻となった。
その上に日本の数限りない残虐行為はべトバックにおけるべトミン根拠地への攻撃・逮捕者の拷問・殴打・拘禁・銃殺・陵辱・強奪などにより民衆を恐怖に陥れた。こうして、瞬くうちにファシスト日本の偽りの恩情の姿が明らかとなり、親日傀儡一派の「独立」の仮面がすっかりはがれてしまった。我が人民は日増しに敵国日本を憎み、親日傀儡一派を嫌悪するようになった。
これは メッセージ 20042 (yominokuni56 さん)への返信です.