南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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スマイス調査(2)

投稿者: yu77799 投稿日時: 2003/08/07 20:51 投稿番号: [1879 / 41162]
「国際委員会」メンバーの認識を見ると、占領直後の「安全区の人口20万、城内人口の大部分はここに集まっていた」との認識が、その後入手した情報をもとに、「実際には安全区20〜25万、他に安全区に来ない人々もおおぜいいた」というように変わっています。


例えば、ラーベの認識です。

>難民の数は今や約25万人と見積もられている。増えた5万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。

ラーベは「市民虐殺数」を「5、6万」と認識していましたから、単純に考えて、南京の占領時人口を「30万」と認識していたことになります。なお、これが「郷区」人口も含んだものであるかは定かではなく、「南京市」の人口で考えればもっと多いのかもしれません。(念のためですが、この認識が正しいかどうかは、別の問題です)


あるいは、マギー。

>我々委員会で推定した所では、安全地帯に入つたのは少くとも二十万は入つたと思ふ。其の外に安全地帯に来なかつた者がどの位あつたかは到底推定出来ないと思ふ。けれども三十万は最低の見積りであらうと思ふ。兎に角城外に居つた者、市外に居つた者がどの位居つたかと云ふことは到底推定出来兼ねる。(極東軍事裁判マギー証言)


安全区は少なくとも20万、全体では30万以上、ということのようです。これまた「郷区」をどう認識していたのかは、よくわかりません。


またベイツは、南京占領時点で、「安全区」の人口がすでに25万人に達していた、という認識を示しています。

  >南京攻撃が予想された週に、南京住民の膨大な脱出があったにもかかわらず、二五万人が安全区に入り込み、数千人が同区外に留まって さらに悲惨なめにあうことになった。(「南京事件資料集1   アメリカ関係資料編」   P182   「南京におけるキリスト教徒の活動に関する予備報告」(1938年冬季))

「2月18日」時点の認識です。なお同区外の「数千人」というのは、ベイツのこの時点の認識だったようですが、これはどう考えても少ない。「宝塔街キャンプ」だけでも、7千人もしくは2万人(諸説あり)いたわけですから。



スマイスは、「国際委員会」メンバーとは別の独自の情報を持っていたわけではありませんから、他のメンバーと認識がかけ離れるとは考えにくい。また、占領時点で何らかの調査を行ったわけでもない。直後に「市部調査」と対照しているところを見ると、これは、「安全区」の人口、あるいはせいぜい「市部調査」の範囲である「城内と城壁周辺」の人口を語ったものである、と考えるのが、妥当であるようです。


その「注記」も、上記の読み方を裏付けます。

>12月末から1月末にかけて日本軍当局によって行われた不完全な登録に基づいて、国際委員会のメンバーが推定したところでは、当時の南京の人口は約25万であって、数週間前に彼らが特に慎重に推定した数をはっきりと上まわるものである。中国の半官半民筋はほぼ30万と推定していた。

「数週間前に彼らが特に慎重に推定した数」というのは、明らかに「安全区人口」を指します。「国際委員会」は「安全区外」の人口など把握していませんし、ましてや城外や郷区は視野の外でしたから。


ちなみにこの議論、掲示板では繰り返し行われています。K-Kさんのページにも議論の過去ログがありますので、参考にして下さい。

http://www.geocities.com/kknanking/ncrekisi/ncrekisi5.htm


・・・まあこのあたり、私自身の中で100%解決しているわけではありませんので、しばらくは「未処理箱」に放り込んでおくことにしましょう。

ただ、見てきたとおり、他の国際委員会メンバーの認識を考えると、スマイスが「南京市」全体を考えた形で「最大値25万と認識していた」ということは、ちょっとなさそうに思うのです。
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