スマイス調査(1)
投稿者: yu77799 投稿日時: 2003/08/07 20:50 投稿番号: [1878 / 41162]
お待たせしました。
書くべきことが多いので、全部の論点にお答えすることはできません。思い切り絞ったのですが、それでも、確実に「投稿制限」に引っ掛かる量になってしまいました。残りは、また機会があれば、ということで。
なお、最終回は、「東中野氏の「資料等級」」になります。これが出てこないようでしたら、「投稿制限」にかかっているもの、と考えて下さい。
まず、私の主張は、「安全地帯の外側が無人地帯とはいえない」ということでした。
「安全地帯の外に多数の人がいた」というのは、ラーベの認識であり、マギーの認識であり、ウィルソンの認識でもありました。ダーディンの認識でもあります。また、笠原氏・秦氏も、同じ認識を示しています。日本側の「残留住民」証言もあり、中国側にも「居住」証言は数多くあります。
「5万から15万」と書いたのは、あくまで私の「個人的なイメージ」ですので、あまりこだわる考えはありません。まあ、どんなに割り引いても、数万以下ということはないと思いますが・・・。
・・・と、ここまでは、いいようですね。
(余談ですが、秦氏が、<「全員が難民区に逃げ込んでいたから、空っぽのはずだ」という議論がありますが、私はそうは思わない。・・・自分の家に留まっていた人はかなりいただろうと思います。>と発言したのは、なんと東中野氏の編著の中ででした。ちょっと驚きます)
さて、確かにスマイスは、「人口」についてこう語っています。
>南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、後には南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった。我々が3月に行った抽出調査で報告された人員を50倍すれば、すぐさま市部調査で表示されている22万1150人という人口数が得られる。この数は当時の住民総数のおそらく80ないし90パーセントを表したものであろうし、住民の中には調査員の手の届かぬ ところに暮らしていたものもあった。
最初の「100万」は、明らかに「南京市」の人口です。字面を素直に追えば次の「20万から25万」も「南京市」の人口であるかのように見えるのですが、他の資料と読み比べると、実は非常に微妙なのです。
(この項続く)
これは メッセージ 1848 (maxell3585 さん)への返信です.
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