Re: 日本軍人の態度は昔も今も変わらない
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2006/10/23 15:04 投稿番号: [13609 / 41162]
>身内の話で恐縮ですが、私の叔父は中国で中国兵と戦い負傷しました。叔父は中国で地元の子供達が戦争によって、あまりにも悲惨な状況に置かれている事に衝撃を受け、戦後日本に戻って来てから、何百人という戦災孤児を引き取り、私財をなげうって、立派に育てました。彼は、亡くなる数年前まで、子供達の食費を工面する為に、野菜をトラックに積んで行商にでていました。
fukagawatohei様の叔父様の考えや行動は、まさに当時「日本軍として戦ったほとんどの人の思い」を表していると思います。
ほとんどの日本人は、「目には目をで、やられたらやり返す」とも「この恨みは奴らの同族を女子供も残酷に殺して晴らす」とも「奴らはモンキーだから殺してもいいんだ」とも考えません。
戦場では「敵」として戦っても「本質的に同じ人間」として扱うのが「日本人の心」です。
(反対に戦場では「たとえ相手が親友でも正々堂々戦う」のが「侍の倣い」です。)
>かえって、中国人に偏見を持つ日本人は戦時中より現在のほうが多いかもしれません。
日本人は、孔子や三国志や西遊記などで古くからの中国文化に親しみ憧れさえ持っていたと思います。
しかし実際に行ってみると、中国には大人(たいじん)などほとんどおらず、「汚らしくて残酷な嘘つき」だらけだと日本人には西洋人以上に見えたと思います。
そして支那はチャイナと同様で差別用語ではありませんが、現実を知れば知るほど「支那人」と呼ぶ声に「侮蔑的な響きが加わる」のは有る意味自然な成り行きだったと思います。
(中国兵が「敵を残虐に殺す」のは理解できますが「自国民を雑草のように扱い虫けらのように殺す」のは到底理解できるものではありません。)
>南京虐殺も、日本軍部指導者の過ちで起きた事であり、命令に従った一兵士には罪はないでしょう。命令にさからえば、自分が殺されてしまうのですから。
盧溝橋事件時点で、中国軍は「日本と戦争する準備」が完了していましたが、日本軍は「中国侵略の準備」などまるでしていませんでした。
その中で「なし崩し」的にあわただしく南京攻略した当時の混乱した状況からすれば、いわゆる「虐殺」の発生も完全には避けられたと思いませんが、同様の状況ではどの国の軍も「大なり小なり同じこと」で、「日本軍固有の残虐性」の証明にはならないのは間違いありません。
>もっとも、中には、小学校で百人斬りの武勇伝を話す根っからの殺人鬼もいたようですが、これは極めてまれな人間でしょう。
いわゆる「百人斬り」の当該者には、状況的に百人斬りができたとは思えません。
ただ、数万人の兵士の中にはまれに「殺人鬼の要素の強いもの」はいたでしょうし、戦場では「敵を効率よく殺せる人間」は肯定されます。
(人間の歴史の中ではむしろ「戦争せずに済んだ期間」の方が短く、三国志などの武勇伝者も「殺人スキルの熟達者」ですし「スリルと興奮の中でスキルを発揮し大勢の人間を殺し生き延びる快感」の要素は当然あったはずです)
しかし、それを「日本軍全体のサンプル」とするのは恐ろしく偏っています。
>いづれにせよ、旧日本軍と現在の自衛隊とは、おかれている状況が全く違うと思います。
状況は違いますが、当時でさえ「日本人の現地人の接し方や気持ちに変わりはない」と思います。
fukagawatohei様の叔父様の考えや行動は、まさに当時「日本軍として戦ったほとんどの人の思い」を表していると思います。
ほとんどの日本人は、「目には目をで、やられたらやり返す」とも「この恨みは奴らの同族を女子供も残酷に殺して晴らす」とも「奴らはモンキーだから殺してもいいんだ」とも考えません。
戦場では「敵」として戦っても「本質的に同じ人間」として扱うのが「日本人の心」です。
(反対に戦場では「たとえ相手が親友でも正々堂々戦う」のが「侍の倣い」です。)
>かえって、中国人に偏見を持つ日本人は戦時中より現在のほうが多いかもしれません。
日本人は、孔子や三国志や西遊記などで古くからの中国文化に親しみ憧れさえ持っていたと思います。
しかし実際に行ってみると、中国には大人(たいじん)などほとんどおらず、「汚らしくて残酷な嘘つき」だらけだと日本人には西洋人以上に見えたと思います。
そして支那はチャイナと同様で差別用語ではありませんが、現実を知れば知るほど「支那人」と呼ぶ声に「侮蔑的な響きが加わる」のは有る意味自然な成り行きだったと思います。
(中国兵が「敵を残虐に殺す」のは理解できますが「自国民を雑草のように扱い虫けらのように殺す」のは到底理解できるものではありません。)
>南京虐殺も、日本軍部指導者の過ちで起きた事であり、命令に従った一兵士には罪はないでしょう。命令にさからえば、自分が殺されてしまうのですから。
盧溝橋事件時点で、中国軍は「日本と戦争する準備」が完了していましたが、日本軍は「中国侵略の準備」などまるでしていませんでした。
その中で「なし崩し」的にあわただしく南京攻略した当時の混乱した状況からすれば、いわゆる「虐殺」の発生も完全には避けられたと思いませんが、同様の状況ではどの国の軍も「大なり小なり同じこと」で、「日本軍固有の残虐性」の証明にはならないのは間違いありません。
>もっとも、中には、小学校で百人斬りの武勇伝を話す根っからの殺人鬼もいたようですが、これは極めてまれな人間でしょう。
いわゆる「百人斬り」の当該者には、状況的に百人斬りができたとは思えません。
ただ、数万人の兵士の中にはまれに「殺人鬼の要素の強いもの」はいたでしょうし、戦場では「敵を効率よく殺せる人間」は肯定されます。
(人間の歴史の中ではむしろ「戦争せずに済んだ期間」の方が短く、三国志などの武勇伝者も「殺人スキルの熟達者」ですし「スリルと興奮の中でスキルを発揮し大勢の人間を殺し生き延びる快感」の要素は当然あったはずです)
しかし、それを「日本軍全体のサンプル」とするのは恐ろしく偏っています。
>いづれにせよ、旧日本軍と現在の自衛隊とは、おかれている状況が全く違うと思います。
状況は違いますが、当時でさえ「日本人の現地人の接し方や気持ちに変わりはない」と思います。
これは メッセージ 13590 (fukagawatohei さん)への返信です.