Re: 「平成の南京虐殺者」
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/01 19:22 投稿番号: [10394 / 41162]
>命令がでたから守られたはずだ?って
>あほか?
>そういう命令を徹底させるためには、治安部隊とか警察とかが完全に機能しなくてはならないのだよ。
>現実は、軍隊が市民より先に逃げてしまった。
>そんなものの命令が徹底するはずないだろう。
支那軍や警察が命令を徹底させるために大活躍していた資料があるのだが。
『南京事件の日々――ミニー・ヴォートリンの日記』より
P38 12月7日火曜日
城内にはいろいろな噂が飛び交っている。何千人という人々が南門から安全区に入ってきた。彼らの話によれば、五時までに立ち退くように警察から命令されており、それにしたがわなければ家は焼き払われ、スパイとみなされるというのであった。
P40 12月8日(水)
今夜は、初めての避難民を受け入れている。彼女たちが聞かせてくれる話は、なんと心の痛む話だろう。中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。
P41 12月9日(木)
今夜は南京市の南西隅の空全体を火炎が照らしている。午後はほとんど、北西以外の全ての方角から濛々と煙が立ち昇っていた。中国軍のねらいは、すべての障害物、たとえば銃撃の邪魔になる物や、日本兵が待ち伏せしたり身を守るのに役立つ物を取り除くことなのだ。AP特派員のマクダニエルは、中国兵が灯油をかけて家に火をつけているところを目撃したと言っている。
>難民区外に多くの市民が潜んでいたことは、マギー牧師の日記にもウィルソン医師の日記にも、治療した負傷者の口述として記録されている。
その記録を教えてください。
ついでに、以下の質問に答えて下さい。
南京市長が全市民に安全地区に移るように命令したのは12月1日。
その後も続々と南京を脱出し12月6日頃には南京の人口はほぼ20万人まで減少していた。
12月7日ミニー・ヴォートリンの日記
何千人という人々が南門から安全区に入ってきた。彼らの話によれば、五時までに立ち退くように警察から命令されており、それにしたがわなければ家は焼き払われ、スパイとみなされるというのであった。
12月8日、支那軍司令長官唐生智が非戦闘員は全て安全地区に移るように命令した。
12月8日ミニー・ヴォートリンの日記
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。
12月11日、警察官が川岸で渡江して避難した。
戦闘が始まったのは12月12日の夜。
このような状況下にあって、12月13日になっても10人以上が避難もせずに居残っていた夏淑琴の家族ってナニモノ?
100万人のうち80万人が南京を脱出した。
残った20万人は南京を脱出するカネもなかった貧乏人の中の貧乏人だった。
食糧や生活必需品の配給は安全区で行われた。
南京を脱出もせず安全区にも避難せず、12月13日になっても10人以上が危険な場所に居残っていた夏淑琴の家族ってナニモノ?
警察から立ち退くように命令され、それにしたがわなければ家は焼き払われ、スパイとみなされるというのに、12月13日になっても10人以上が危険な場所に居残っていた夏淑琴の家族ってナニモノ?
支那軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺されていたのに、12月13日になっても10人以上が危険な場所に居残っていた夏淑琴の家族ってナニモノ?
>ところで、
>きみたち東中野奉賛党はことある度に、
>「市民が危険な場所にとどまっているはずない」というが、
>それって、君たち東中野奉賛党が一方で宣伝してやまない、慈悲深き日本軍のイメージを否定するのかな?
>『日本軍』はそれほど残忍だ、と聞えていたのかな?
???
日支両軍が砲撃戦や銃撃戦を繰り広げる危険な場所から避難するのは当然のことだと思うが、何か?
>あほか?
>そういう命令を徹底させるためには、治安部隊とか警察とかが完全に機能しなくてはならないのだよ。
>現実は、軍隊が市民より先に逃げてしまった。
>そんなものの命令が徹底するはずないだろう。
支那軍や警察が命令を徹底させるために大活躍していた資料があるのだが。
『南京事件の日々――ミニー・ヴォートリンの日記』より
P38 12月7日火曜日
城内にはいろいろな噂が飛び交っている。何千人という人々が南門から安全区に入ってきた。彼らの話によれば、五時までに立ち退くように警察から命令されており、それにしたがわなければ家は焼き払われ、スパイとみなされるというのであった。
P40 12月8日(水)
今夜は、初めての避難民を受け入れている。彼女たちが聞かせてくれる話は、なんと心の痛む話だろう。中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。
P41 12月9日(木)
今夜は南京市の南西隅の空全体を火炎が照らしている。午後はほとんど、北西以外の全ての方角から濛々と煙が立ち昇っていた。中国軍のねらいは、すべての障害物、たとえば銃撃の邪魔になる物や、日本兵が待ち伏せしたり身を守るのに役立つ物を取り除くことなのだ。AP特派員のマクダニエルは、中国兵が灯油をかけて家に火をつけているところを目撃したと言っている。
>難民区外に多くの市民が潜んでいたことは、マギー牧師の日記にもウィルソン医師の日記にも、治療した負傷者の口述として記録されている。
その記録を教えてください。
ついでに、以下の質問に答えて下さい。
南京市長が全市民に安全地区に移るように命令したのは12月1日。
その後も続々と南京を脱出し12月6日頃には南京の人口はほぼ20万人まで減少していた。
12月7日ミニー・ヴォートリンの日記
何千人という人々が南門から安全区に入ってきた。彼らの話によれば、五時までに立ち退くように警察から命令されており、それにしたがわなければ家は焼き払われ、スパイとみなされるというのであった。
12月8日、支那軍司令長官唐生智が非戦闘員は全て安全地区に移るように命令した。
12月8日ミニー・ヴォートリンの日記
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。
12月11日、警察官が川岸で渡江して避難した。
戦闘が始まったのは12月12日の夜。
このような状況下にあって、12月13日になっても10人以上が避難もせずに居残っていた夏淑琴の家族ってナニモノ?
100万人のうち80万人が南京を脱出した。
残った20万人は南京を脱出するカネもなかった貧乏人の中の貧乏人だった。
食糧や生活必需品の配給は安全区で行われた。
南京を脱出もせず安全区にも避難せず、12月13日になっても10人以上が危険な場所に居残っていた夏淑琴の家族ってナニモノ?
警察から立ち退くように命令され、それにしたがわなければ家は焼き払われ、スパイとみなされるというのに、12月13日になっても10人以上が危険な場所に居残っていた夏淑琴の家族ってナニモノ?
支那軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺されていたのに、12月13日になっても10人以上が危険な場所に居残っていた夏淑琴の家族ってナニモノ?
>ところで、
>きみたち東中野奉賛党はことある度に、
>「市民が危険な場所にとどまっているはずない」というが、
>それって、君たち東中野奉賛党が一方で宣伝してやまない、慈悲深き日本軍のイメージを否定するのかな?
>『日本軍』はそれほど残忍だ、と聞えていたのかな?
???
日支両軍が砲撃戦や銃撃戦を繰り広げる危険な場所から避難するのは当然のことだと思うが、何か?
これは メッセージ 10373 (pipopipo555jp さん)への返信です.