嘘吐き馬鹿女wq_pq243宛 避難命令
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/01 19:07 投稿番号: [10393 / 41162]
>去年のアメリカのハリケーンカトリーナのとき避難命令が出たけど、実際は避難したくても出来ない人がいました。
カトリーナの時には48万人の市民に避難命令が発令されたが、翌日にはカトリーナが上陸してしまったために市民は避難したくても間に合わなかった。
一方、南京の場合には11月23日の時点で既に100万人のうち50万人が避難のために南京を去っていた。
その後も市民は南京を脱出し11月27日には30〜40万まで人口は減っていた。
南京市長が全市民に安全地区に移るように命令したのは12月1日。
その後も続々と南京を脱出し12月6日頃には南京の人口はほぼ20万人まで減少していた。
12月7日ミニー・ヴォートリンの日記
何千人という人々が南門から安全区に入ってきた。彼らの話によれば、五時までに立ち退くように警察から命令されており、それにしたがわなければ家は焼き払われ、スパイとみなされるというのであった。
12月8日、支那軍司令長官唐生智が非戦闘員は全て安全地区に移るように命令した。
12月8日ミニー・ヴォートリンの日記
今夜は、初めての避難民を受け入れている。彼女たちが聞かせてくれる話は、なんと心の痛む話だろう。中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。
12月11日、警察官が川岸で渡江して避難した。
戦闘が始まったのは12月12日の夜。
このような状況下にあって、12月13日になっても10人以上が避難もせずに居残っていた夏淑琴の家族ってナニモノ?
100万人のうち80万人が南京を脱出した。
残った20万人は南京を脱出するカネもなかった貧乏人の中の貧乏人だった。
食糧など生活必需品の配給は安全区で行われた。
南京を脱出もせず安全区にも避難せず、12月13日になっても10人以上が危険な場所に居残っていた夏淑琴の家族ってナニモノ?
警察から立ち退くように命令され、それにしたがわなければ家は焼き払われ、スパイとみなされるというのに、12月13日になっても10人以上が危険な場所に居残っていた夏淑琴の家族ってナニモノ?
支那軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺されていたのに、12月13日になっても10人以上が危険な場所に居残っていた夏淑琴の家族ってナニモノ?
>…というわけで、あんたの妄言は証拠にはなりません。
では、上記の質問に対し、妄言ではない証拠になるような模範回答を願おうか。
これは メッセージ 10368 (wq_pq243 さん)への返信です.
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