国際法違反常習侵略国家中国は謝罪せよ
投稿者: ipodsd 投稿日時: 2006/05/13 01:11 投稿番号: [115323 / 196466]
大日本国の国としての中国朝鮮政策はすべて国際法遵守・条約遵守の行為であり、国際法上何の問題もないもの。常に違法・違反行為を行ってきたのは中国であり、中国は自国人民、関係各国に謝罪と金銭保障をすべきだ。
東京裁判は名前は裁判としているが、法的根拠のない、単なる政治ショウに過ぎないので、A級戦犯など、法的にありえない。
<1><1894 日清戦争 天津条約違反の清>
経緯
<清の動き>
6月1日 朝鮮、清国政府に出兵要請
6月6日 清軍、大沽出港(第一次出兵) ● <天津条約違反>
6月7日 清国、対日出兵通告
6月8日 清軍、白石浦上陸
<日本の動き>
6月2日 閣議で派兵決定: 派兵を可能にする手続き。この時点で派兵を実行したわけではない。外交上何の問題もない。単なる予防的国内手続き。拳銃の安全装置をはずしただけで、拳銃を撃ったわけではない。
6月5日 大鳥駐朝鮮公使の帰任出発。大鳥公使警護ための護衛官を帯同した。
6月7日 清の派兵知照に対抗し、清に「済物浦条約に基づく居留民保護のための派兵」を通告 <正当防衛>
6月9日 大鳥公使仁川到着、陸軍先発隊宇品出発
6月10日 大鳥公使京城到着
●日本の行動は完全に合法・国際法遵守
天津条約では「互いに公文書を往復しあって十分に了解をとること」となっていたが、清は日本の了解なしで派兵を行った。これは明らかな天津条約違反。と同時に、派兵という武力行使の一方的通告は、最後通牒と同じで、条約破棄とみなされ、天津条約が破棄されたので、日本は清へ派兵通告だけ十分であった。日本の朝鮮への派兵根拠は朝鮮との条約である済物浦条約による。
豊島沖海戦(高陞号事件)は、英国商船旗を掲げ2000余人の清国兵を輸送中の高陞号に対し、国際法に則り日本海軍艦船が停船・臨検命令を発したが、無視逃走を図ったため、国際法に則り撃沈したもの。
<2><1912-1933 満州事変と日中戦争は関係ない>
満州事変、第一次上海事件などは1931年のこと。
1937年の盧溝橋事変、第2次上海事変変、南京陥落等の日中戦争とは全く別。
満州は辛亥革命以後、清朝の流れを汲む北洋軍閥が跋扈し、無政府状態で、北洋軍閥と大日本帝国とが、つかず離れず支配していた地域。
したがって国民党政府とは関係のない地域で日中戦争とは関係ない。
張作霖、張学良は北洋軍閥内外での権力闘争に敗れただけ。
北洋軍閥主流は大日本帝国と協力して、本来の所有者であった清朝の宣統帝溥儀を国王とする満州国政府となった。
国民政府との関係では、1933年の塘沽協定(タンクー)で国民軍の河北省東北部からの撤退が決まり停戦実現。この協定によって中国は事実上満州国の建国を認めた。
したがって満州事変と日中戦争は関係のない別事象。
1937-1948 日中戦争
謝罪すべきは中国
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019566&tid=cf9q&sid=552019566&mid=54318
A級戦犯訴追はポツダム宣言違反の不法行為
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019566&tid=cf9q&sid=552019566&mid=54304
日中戦争は日本の正当防衛行為 (索引)
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019566&tid=cf9q&sid=552019566&mid=54261
<3><東京裁判>
戦争終結の仕方には2種類あり、
一つは権益に関するもので政治的決着、他方は司法解決で法に基づく決着
政治的決着は関係国の合意で成り立つもの、司法決着には犯罪の法的根拠、法廷設置の法的根拠、法手構成の法的根拠、裁判手続きの法的根拠、等々、法的根拠が必要である。
東京裁判は単に政治的解決であって、あらゆる面で、法的根拠に欠けるもので司法決着とは程遠い、ずさんなものであった。
したがって、裁判とは「言葉の遊び」で、本質は「政治決着」の道具に過ぎなかった。
よって、東京裁判の戦犯とは、政治決着の道具であり、司法上の犯罪人ではないということ。
<4><近年の頻発する中国による不法行為の一部>
2002 瀋陽日本領事館へ武装警官の乱入
2005 靖国内政干渉
潜水艦領
東京裁判は名前は裁判としているが、法的根拠のない、単なる政治ショウに過ぎないので、A級戦犯など、法的にありえない。
<1><1894 日清戦争 天津条約違反の清>
経緯
<清の動き>
6月1日 朝鮮、清国政府に出兵要請
6月6日 清軍、大沽出港(第一次出兵) ● <天津条約違反>
6月7日 清国、対日出兵通告
6月8日 清軍、白石浦上陸
<日本の動き>
6月2日 閣議で派兵決定: 派兵を可能にする手続き。この時点で派兵を実行したわけではない。外交上何の問題もない。単なる予防的国内手続き。拳銃の安全装置をはずしただけで、拳銃を撃ったわけではない。
6月5日 大鳥駐朝鮮公使の帰任出発。大鳥公使警護ための護衛官を帯同した。
6月7日 清の派兵知照に対抗し、清に「済物浦条約に基づく居留民保護のための派兵」を通告 <正当防衛>
6月9日 大鳥公使仁川到着、陸軍先発隊宇品出発
6月10日 大鳥公使京城到着
●日本の行動は完全に合法・国際法遵守
天津条約では「互いに公文書を往復しあって十分に了解をとること」となっていたが、清は日本の了解なしで派兵を行った。これは明らかな天津条約違反。と同時に、派兵という武力行使の一方的通告は、最後通牒と同じで、条約破棄とみなされ、天津条約が破棄されたので、日本は清へ派兵通告だけ十分であった。日本の朝鮮への派兵根拠は朝鮮との条約である済物浦条約による。
豊島沖海戦(高陞号事件)は、英国商船旗を掲げ2000余人の清国兵を輸送中の高陞号に対し、国際法に則り日本海軍艦船が停船・臨検命令を発したが、無視逃走を図ったため、国際法に則り撃沈したもの。
<2><1912-1933 満州事変と日中戦争は関係ない>
満州事変、第一次上海事件などは1931年のこと。
1937年の盧溝橋事変、第2次上海事変変、南京陥落等の日中戦争とは全く別。
満州は辛亥革命以後、清朝の流れを汲む北洋軍閥が跋扈し、無政府状態で、北洋軍閥と大日本帝国とが、つかず離れず支配していた地域。
したがって国民党政府とは関係のない地域で日中戦争とは関係ない。
張作霖、張学良は北洋軍閥内外での権力闘争に敗れただけ。
北洋軍閥主流は大日本帝国と協力して、本来の所有者であった清朝の宣統帝溥儀を国王とする満州国政府となった。
国民政府との関係では、1933年の塘沽協定(タンクー)で国民軍の河北省東北部からの撤退が決まり停戦実現。この協定によって中国は事実上満州国の建国を認めた。
したがって満州事変と日中戦争は関係のない別事象。
1937-1948 日中戦争
謝罪すべきは中国
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A級戦犯訴追はポツダム宣言違反の不法行為
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日中戦争は日本の正当防衛行為 (索引)
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<3><東京裁判>
戦争終結の仕方には2種類あり、
一つは権益に関するもので政治的決着、他方は司法解決で法に基づく決着
政治的決着は関係国の合意で成り立つもの、司法決着には犯罪の法的根拠、法廷設置の法的根拠、法手構成の法的根拠、裁判手続きの法的根拠、等々、法的根拠が必要である。
東京裁判は単に政治的解決であって、あらゆる面で、法的根拠に欠けるもので司法決着とは程遠い、ずさんなものであった。
したがって、裁判とは「言葉の遊び」で、本質は「政治決着」の道具に過ぎなかった。
よって、東京裁判の戦犯とは、政治決着の道具であり、司法上の犯罪人ではないということ。
<4><近年の頻発する中国による不法行為の一部>
2002 瀋陽日本領事館へ武装警官の乱入
2005 靖国内政干渉
潜水艦領
これは メッセージ 115318 (hangyosyufu さん)への返信です.
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