松島の開発を禁止しました(太政官指令)
投稿者: hamakaze_matukaze 投稿日時: 2009/02/15 15:01 投稿番号: [9117 / 9207]
http://www.occidentalism.org/?p=373
日本国内の松島に関する論議
日本政府は、1876年に“松島”開発の要望、「松島開拓之議」が出始めるまで、竹島と松島の位置についての謎を急いで解く必要が無い、と考えていたことは明らかです。それは、まさに松島が実際には何処に位置するのか、と言う論議をよびおこしました。外務省には“松島”が鬱陵島であると考える人と、鬱陵島に隣接する于山島だと考える人とがいました。最終的に、1877年の3月29日に日本政府は次のようなあいまいな表現の返答で“松島”の開発を禁止しました(太政官指令)。
“竹島ともう一つの島については、わが国と関係が無いものとする。”
論議の対象であるにもかかわらず、松島と言う名前がこの答弁に使われていないことにお気づきでしょうか。日本は既に竹島(鬱陵島)が朝鮮領だとみなしてきたので、その名称を決定の中に含めることは問題が無かったのです。しかし、“松島”に関する論議はまだ結論が出ておらず、そのため、”竹島ともう一つの島”と言う表現を使うことで、松島の帰属についてあいまいにし、最終的な決断を避けるために逃げ道を作ったことは明らかです。
これは メッセージ 9115 (hamakaze_matukaze さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1za1vcddega1wa4offckdc8gmada4nnneza4ga49_1/9117.html