「于山」と「武陵」には住民が住んでいた、
投稿者: hamakaze_matukaze 投稿日時: 2008/12/27 20:36 投稿番号: [9026 / 9207]
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“(1417年2月5日)
大宗実録17年丁酉二月壬戌条
安撫使(検察使)の金麟雨が于山島から戻り
“ (1417年2月8日)
大宗実録17年二月乙丑
右議政韓尚敬が6人の大臣に命じ、于山武陵から住民をどう退去させるか協議した。皆このように言った。「武陵の住民を退去させない方がよいでしょう。五穀を給付し、農機具を与えて、安心して農業をさせましょう。そして帥撫使(武官?)を派遣して年貢を定めればよいではないですか。」
しかし、工曹判書の黄喜だけは反対し、「彼等を定住させずに、速やかに退去させるべきです。」と申し上げた。
王曰く「住民を退去させるのがよいであろう。これらの人民は今まで使役を逃れのんきに暮らしてきた。もし年貢を定めて武官を常駐させれば、必ず恨みを持つだろう。よって、これ以上長く停留させるわけにはいかない。金麟雨を安撫使に留めておき、于山武陵地域にもう一度派遣して住民を島から退去して本土へ戻るよう引率させよう。」
王は(金麟雨へ)衣類、笠、及び靴を、また于山の住民3人に衣服を1揃いずつ与えた。そして江原道の観察使に命じ、兵船二隻を供給し、道内の水軍の中から有能な者を選んで麟雨に同行させるよう言った。”
上記の記録では、大臣達は金麟雨が最近行った鬱陵島検察について話し合っています。彼等が住民のことを“于山武陵の住民”と言っていることに注意して下さい。つまり、于山と武陵が隣同士の島であるだけでなく、どちらの島にも住民が居る事を物語っています。また、“于山”という名前が“武陵”の前に付いていることがお分かりでしょうか。つまり、于山の方が大きな島である可能性が高いのです。最後に、金が“于山”の住民三名を連れ帰ったことに注目します。つまり、于山島には人が住んでいたのです。ここでまた、于山島が現在の独島では無いことが証明されました。
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皆このように言った「武陵の住民を退去させない方がよいでしょう。王は(金麟雨へ)衣類、笠、及び靴を、また于山の住民3人に衣服を1揃いずつ与えた。
大宗実録17年によると、1417年2月時点では「于山」と「武陵」には住民が住んでいた、
これは メッセージ 9024 (hamakaze_matukaze さん)への返信です.
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