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特攻隊員の母、鳥浜トメ 蛍帰るその三

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/29 16:30 投稿番号: [8578 / 9207]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_index_frame.htm

■5.この思い出を持ってあの世に行きます■

  できることなら、トメは小林少尉の肩を抱いて泣きたかった。
しかしそれはできない。立ち上がって、廊下に出ると、かっぽ
う着の裾で涙を拭いた。涙はあとからあとから途切れることな
く流れ落ちた。

  翌日、小林少尉は最後のお別れに来た。昨夜より気持ちがふ
っきれたのか、むしろ淡々として見えた。「小母さん、これま
でのことはほんとうにありがとう。小母さんには実のおふくろ
よりやさしくしてもらった。忘れませんよ。この思い出を持っ
てあの世に行きます。達者で長生きしてください。」

  トメは必死に涙をこらえながら、手作りのおはぎを渡し、
「部下の下士官の方へさしあげてください」と言うのがやっと
だった。小林少尉は最後の敬礼をし、トメは黙って頭を下げた。
少尉はゆっくり回れ右をして、飛行場の方に戻っていった。

  そうだ、せめて親御さんにあの方が立派に旅立っていったこ
とをお知らせしなければならない。手は震え、文脈は乱れ、涙
はとどめなくしたたり落ちる。「よみにくいペン字   おゆるし
下さい   ただ   いそいで   お知らせまで」。父親の名前は知ら
なかったので、「小林少尉殿の父上様」と結んだ。それからは
何度もこうした悲しい手紙を書かなければならなかった。

■6.「ぼくは朝鮮人です」■

  光山文博少尉は京都薬学専門学校を卒業し、昭和18年、特
別操縦見習士官を志願し、知覧で6ヶ月の速成教育を受けてパ
イロットとなった。日曜日毎に富屋にやってきたが、無口でど
こか寂しい人柄だったので、トメはなるべく明るく接しようと
した。

  彼は最初から「ぼくは朝鮮人です」と言っていた。元の名を
卓庚鉉と言い、幼い時に父母とともに日本に渡ってきたのだっ
た。当時の日本人の中には朝鮮人に対する差別意識を持った者
も多かったので、トメは光山をよけい大事にしてわが子同様に
可愛がった。

  半年のちに知覧を卒業して、各地の部隊を転々として、行く
先々から「知覧の小母ちゃん、元気ですか」とはがきをよこし
た。その光山が昭和20年5月の初め、「小母ちゃーん」と呼
びながら、富屋に戻ってきた。トメはすぐに事情を察した。そ
の頃に知覧に戻ってくるのは、特攻隊員になった者だ。それか
ら光山は毎日のように入り浸った。

  光山の母親はその前年の暮れになくなっていたという。息子
が日本でばかにされないようにと、必死で働いて学歴をつけさ
せたのであろう。また息子の方も特別操縦見習士官を志願した
のは、立派な軍人姿を母親に見せてやりたかったのだろう。
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