1880年代、朝鮮は現竹島の存在を知らず
投稿者: toorisugari_no_ojisan 投稿日時: 2007/04/08 11:02 投稿番号: [8412 / 9207]
1870年「外務省出仕」の佐田白茅、森山茂、斉藤栄らが「竹島、松島、朝鮮付属二相成候始末」と提出
とありましたが、
この当時の松島は鬱陵島で、竹島は実在しない地図上の島、
そして、今の竹島 (旧松島) は、リアンクール島だった事を書きました。
1880年に
J. Rittauが編纂した「日本図」では、アルゴノートは姿を消し、
ダジュレー島と、ホーネット・ロックスのみが残っています。
この年、軍艦天城が現地調査をした結果、
旧松島は地図の上ではリアンクール島あるいはホーネットになっていた事が判りました。
しかして「松島」という名前は、既に、鬱陵島に使われていますので、
これをリアンクール島に再度用いるわけには行きません。
結果、地図から消えた「アルゴノート」に付けられていた「竹島」という名前が使われたという事でしょう。
さて一方、朝鮮の方は、どうだったのでしょうか。
1881年5月
鬱陵島で日本人7名が木材を伐採しているという報告を受け
1882年4月
副護軍の李奎遠が鬱陵島に赴きます。
この時、国王の高宗は、「松竹島、芋山島は鬱陵島の傍らに在り、しかしてその相距たる遠近いかん。
また何れの物有りや否や」と下問しました。
李奎遠は「芋山島は即ち鬱陵島にて、芋山は古(いにしえ)の国都の名なり」し、
「松竹島は即ち一小島にて、相距たること十里(今の2Kmに相当)、その産するところは即ち檀香と簡竹」
「或いは松島、竹島と称して鬱陵島の東に在りとす。
而(しか)してこれ松竹島以外に別して松島、竹島あるに非ず」と答え、
松竹島(現道洞里竹島)以外に松島や竹島と言う島は存在しないと、高宗の誤りを正しました。
1882年6月5日、鬱陵島から戻った・李奎遠はその啓文で、
「晴明の日、高きに登りて遠眺すれば、即ち千里を窮(きわ)むべくして、更に一挙の石一撮の土なし」とし、
鬱陵島検察日記には「四望して海中にうかぶに一点の島嶼(とうしょ)の見形無し」と記しています。
これは鬱陵島の最高峰である聖人峰(984m)の頂上に立ち、四方を望見した結果を述べた部分で、
そこからは島影らしきものは何も発見できなかった、というものです。
日本は、これより前軍艦による再調査で、我々の旧松島がリャンコ島であることを確認していました。
この結果より、1880年代の朝鮮の人は、現在の竹島の存在をまだ知らなかったと言えます。
これは メッセージ 8410 (toorisugari_no_ojisan さん)への返信です.
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