Re: 近隣諸国からの四面楚歌を阻止せよ
投稿者: toorisugari_no_ojisan 投稿日時: 2007/04/06 21:56 投稿番号: [8410 / 9207]
>「日本外交文書」第3巻に・・・、1870年4月に提出された。提出者は「外務省出仕」の佐田白茅、森山茂、斉藤栄の3人である。・・・「竹島、松島、朝鮮付属二相成候始末」と題している。
>ここでいう「竹島」は鬱陵島のことで、松島は今の独島のことである。
良くしらべたね、ごくろうさん。
でも、残念でした。
1870年当時の松島は鬱陵島の事で、竹島は実在しない地図上の島だったんだよ。
そしてね、今の竹島 (旧松島) は、ホーネットあるいはリアンクールとなっていたんだよ。
これは、説明しないと解らないから説明するね。
これは、西洋人の測量ミスから出た混乱でね。
1787年、鬱陵島はフランス軍艦学校のLepaute Dagelet教授によって発見され"Dagelet"と名付けられる。
1789年、イギリスの探検家、James Colnettが同じく鬱陵島を発見し、"Argonaut"と命名。
このダージュレー島とアルゴノート島は、それぞれ違う緯度と経度だった為、
欧米の地図には2つの鬱陵島が描かれた。
シーボルトは日本地図を作製するときに、日本の諸文献や地図から、隠岐島と朝鮮半島の間に、
松島(現竹島) と竹島(現鬱陵島) があることを知っていた。
かつヨーロッパの地図には、日本寄りにダジュレー島、朝鮮寄りにアルゴノート島が描かれていた事から、
アルゴノート島を竹島に、ダジュレー島を松島として地図を作製した。
本当の竹島(旧・松島)は1849年で、フランス船、Liancourt号によって発見され、
この船の名前をとってリアンクール島と名づけられた。
また、1855年にはイギリスのホーネット号(Hornet)が同島を見つけ、
その後イギリスでは、「Hornet Rocks」という名称で表される。
1854年に、ロシア軍艦のパルラダ号が鬱陵島の位置を精測。
結果、アルゴノートの経緯度が不正確で、「現存せず」と注記。
1855年ウィルヘルム・ハイネは、シーボルトの図やその他の最新の知識を加えて地図を作製。
北西部の第一島をアルゴノート、中央の第二島をダジュレーまたは松島、
南東部の第三島は島名を挙げずに、イギリス軍艦ホーネット1855年と記す。
欧米の誤った地図が日本に逆輸入され、勝海舟(1823-1899)は大日本沿海略図を作製。
島が存在しない鬱陵島の北西に「竹島」という島をかき、鬱陵島は「松島」とされ、
その南東に「リアンクール」を書いた(これが現在の竹島(旧・松島))。
1868年にジェームス・ワイルドが書いた地図には、アルゴノート、ダジュレー、ホーネットの3島が描かれ、
ダジュレー島(鬱陵島)には別名で松島と書かれている。
1876年、青森県士族・武藤平学は、鬱陵島の材木伐採や鉱山開発などの計画をたて、外務省に「松島開拓之議」を提出。
ここでいう松島は、欧米系の誤った地図の鬱陵島を指す
1880年 J. Rittauが編纂した「日本図」では、アルゴノートは姿を消し、ダジュレー島と、ホーネット・ロックスのみが残る。
ダジュレー島は鬱陵島であるが、ここでは松島との誤った認識の基に描かれてる。
そしてホーネット・ロックスこそが今の竹島である
結論
1870年ころは、まだ地図に、存在しないアルゴノートが書かれてあり、これを竹島とし、
鬱陵島をダジュレー島(松島) としていた。 本当の松島 (現竹島) はホーネットだった。
従って、1870年に、「竹島・松島、朝鮮付属に相成り候(そうろう)始末」と言った2つの島は、
存在しないArgonaut(竹島)とDagelet(松島=ここでは鬱陵島)のことであり、
現在の竹島(旧・松島、Liancourt Rock、Hornet)のことではない。
これは、1876年に武藤平学が鬱陵島を松島と言ったのと同じ、取り違いなんだよ。
解りましたか。
ninnikumanxさんが言った再発見とは、旧松島はホーネットまたはリアンクール島の事と気づいたという意味だよ。
そして、正式に領土として登録したという事だよ。
>ここでいう「竹島」は鬱陵島のことで、松島は今の独島のことである。
良くしらべたね、ごくろうさん。
でも、残念でした。
1870年当時の松島は鬱陵島の事で、竹島は実在しない地図上の島だったんだよ。
そしてね、今の竹島 (旧松島) は、ホーネットあるいはリアンクールとなっていたんだよ。
これは、説明しないと解らないから説明するね。
これは、西洋人の測量ミスから出た混乱でね。
1787年、鬱陵島はフランス軍艦学校のLepaute Dagelet教授によって発見され"Dagelet"と名付けられる。
1789年、イギリスの探検家、James Colnettが同じく鬱陵島を発見し、"Argonaut"と命名。
このダージュレー島とアルゴノート島は、それぞれ違う緯度と経度だった為、
欧米の地図には2つの鬱陵島が描かれた。
シーボルトは日本地図を作製するときに、日本の諸文献や地図から、隠岐島と朝鮮半島の間に、
松島(現竹島) と竹島(現鬱陵島) があることを知っていた。
かつヨーロッパの地図には、日本寄りにダジュレー島、朝鮮寄りにアルゴノート島が描かれていた事から、
アルゴノート島を竹島に、ダジュレー島を松島として地図を作製した。
本当の竹島(旧・松島)は1849年で、フランス船、Liancourt号によって発見され、
この船の名前をとってリアンクール島と名づけられた。
また、1855年にはイギリスのホーネット号(Hornet)が同島を見つけ、
その後イギリスでは、「Hornet Rocks」という名称で表される。
1854年に、ロシア軍艦のパルラダ号が鬱陵島の位置を精測。
結果、アルゴノートの経緯度が不正確で、「現存せず」と注記。
1855年ウィルヘルム・ハイネは、シーボルトの図やその他の最新の知識を加えて地図を作製。
北西部の第一島をアルゴノート、中央の第二島をダジュレーまたは松島、
南東部の第三島は島名を挙げずに、イギリス軍艦ホーネット1855年と記す。
欧米の誤った地図が日本に逆輸入され、勝海舟(1823-1899)は大日本沿海略図を作製。
島が存在しない鬱陵島の北西に「竹島」という島をかき、鬱陵島は「松島」とされ、
その南東に「リアンクール」を書いた(これが現在の竹島(旧・松島))。
1868年にジェームス・ワイルドが書いた地図には、アルゴノート、ダジュレー、ホーネットの3島が描かれ、
ダジュレー島(鬱陵島)には別名で松島と書かれている。
1876年、青森県士族・武藤平学は、鬱陵島の材木伐採や鉱山開発などの計画をたて、外務省に「松島開拓之議」を提出。
ここでいう松島は、欧米系の誤った地図の鬱陵島を指す
1880年 J. Rittauが編纂した「日本図」では、アルゴノートは姿を消し、ダジュレー島と、ホーネット・ロックスのみが残る。
ダジュレー島は鬱陵島であるが、ここでは松島との誤った認識の基に描かれてる。
そしてホーネット・ロックスこそが今の竹島である
結論
1870年ころは、まだ地図に、存在しないアルゴノートが書かれてあり、これを竹島とし、
鬱陵島をダジュレー島(松島) としていた。 本当の松島 (現竹島) はホーネットだった。
従って、1870年に、「竹島・松島、朝鮮付属に相成り候(そうろう)始末」と言った2つの島は、
存在しないArgonaut(竹島)とDagelet(松島=ここでは鬱陵島)のことであり、
現在の竹島(旧・松島、Liancourt Rock、Hornet)のことではない。
これは、1876年に武藤平学が鬱陵島を松島と言ったのと同じ、取り違いなんだよ。
解りましたか。
ninnikumanxさんが言った再発見とは、旧松島はホーネットまたはリアンクール島の事と気づいたという意味だよ。
そして、正式に領土として登録したという事だよ。
これは メッセージ 8408 (kim_taek_joo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1za1vcddega1wa4offckdc8gmada4nnneza4ga49_1/8410.html