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2 竹島領有権問題について 石破 茂

投稿者: archiver_mag2001 投稿日時: 2006/05/17 14:11 投稿番号: [7163 / 9207]
【竹島の名称】
  現在の鳥取・島根周辺の住民は、昔から現在の鬱陵島を「竹島」(あるいは「磯竹島」)、現在の竹島を「松島」と呼び習わしていた。この名称が文献に登場するのは1618年、米子の商人であった大谷(おおや)家が鳥取藩主を通じて、江戸幕府にアワビ・ワカメなどを採取するための渡海許可を願い出た際の記録「竹島渡海由来記抜書控」である。ここで言われ、幕府が渡海許可を出した「竹島」は、現在の鬱陵島のことであった。大谷家は翌年「松島渡海願」を出してこれも受理されており、この「松島」が現在の竹島であった。
  ちなみに韓国側は竹島(独島・トクト)について、古来より「于山島」「三峯島」「佳池島」「席島」など様々な名称で呼ばれてきたとしており、特に512年に新羅に合併された「于山国」は現在の鬱陵島と竹島(独島)の2島で構成された島国のことだと主張しているが、文献に照らし常識的に判断すれば「于山国」は現在の鬱陵島1島のみを指すと考えられ、竹島(独島)について新羅の時代から領有していたという確たる証拠とは言い難い。
  1787年にフランス人ラ・ペルーズが日本海上を航海中、発見した島に「ダジュレー」と命名。また1789年にはイギリス人コルネットが同じように発見した島に「アルゴノート」と命名。それぞれに記録されていた緯度経度が相違していたため、以後欧州では別々の島が2つあるかのように記載されることとなった(実際はこの2つは同じ鬱陵島)。
  この誤った知識を持ち、なおかつ「松島」と「竹島」が存在していることを知っていたオランダ商館の医師シーボルトは、1840年刊行の「日本図」において「ダジュレー島」に「松島」、「アルゴノート島」に「竹島」と添え書きした。このために以降「鬱陵島=松島」となり、「松島」と「竹島」の名称が混乱することとなった。また、さらに別の外国船が諸島群を発見し、フランス船が「リャンクール列岩」イギリス船が「ホーネット諸島」などと命名したため、以降更に「ダジュレー島」「アルゴノート島」「リャンクール列岩」「ホーネット諸島」の名称が混在するようになった(実際は「リャンクール」「ホーネット」は同じ竹島)。これを受けて、日本でも竹島を「リャンコ島」などと呼称するようになった。
  1880年、軍艦「天城」が測量を実施し、鬱陵島を公式に「松島」であると整理し、竹島は「リヤンクール」あるいは「リヤンコールト」とした。しかし民間では引きつづき鬱陵島を「竹島」と呼んでおり、名称の混乱は続いた。
  1904年、アシカの乱獲等を防ぐため、隠岐島の中井氏が明治政府に竹島の領土編入と貸し下げを依願し、政府は翌1905年1月の閣議決定および2月の島根県告示により、竹島を島根県に編入した。これは従前より日本人が漁業等を行っており、中井氏の漁業会社が既に竹島に小屋を構えていること、等をもって、日本政府が近代国家として竹島を領有する意思を再確認したものであり、内務省訓令第87号をもって同島を「竹島」と正式に命名、島根県隠岐島司の所管とした。ここにおいて現在の「竹島」の名称が固定された。
  以上の経緯から分かるように、この一連の名称の混乱と、測量技術の不足による外国の地図の不正確さが、韓国側の不当な主張を許すことのないよう、日本政府として史実に基づいた確固たる一貫した説明が必要である。
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