必読2
投稿者: tyohatsu 投稿日時: 2005/03/14 16:14 投稿番号: [692 / 9207]
つぎに、日本地図製作の大家として知られている林子平が 1785年ころ
『三国通覧図説』に朝鮮と日本および中国東北地方を描いた付録地図を見れば、
竹島(鬱陵島)とその横に小さい島(独島)を明記して朝鮮本土と同じ黄色で
彩色し(日本は対馬と同じ灰色)、その横に「朝鮮のもの」と書いている。こ
れは当時の日本学会でも独島を朝鮮の領土と認定していることを示している。
1876年、日本海軍水路部がロシア艦隊パラダ号が作成した地図を作戦用に
再発行した「朝鮮東海岸図」にも鬱陵島と独島など付属島が詳細に描かれてい
るが、とくに独島は別に絵で描かれた。
1882年、木村が製作した「東国朝鮮国全図」も日本は赤色で表示したが、
竹島(鬱陵島)と松島(独島)は朝鮮本土と同じ薄い灰色で表示してそれらの
島がみな朝鮮領であることを明らかにしている。
日本海軍水路部で 1883年に初めて発刊した『寰瀛水路誌』にも「リアン
コールド岩(独島)」を鬱陵島の属島と明示し、その後、1945年6月に発刊し
た『簡易水路誌』に至るまで何度も発行した水路誌ではみな独島を朝鮮領の構
成部分に記録した(1952年 海上保安庁が発行した「朝鮮半島沿岸水路誌」か
ら独島を日本領に編入)。
特に、ヒケムセッコが 1930年に出した『日本海(朝鮮東海)に位置する
竹島に関する日鮮関係』では「竹島(独島)と鬱陵島は現在 朝鮮の江原道に
所属し日本海のなかにあるが、朝鮮領土の境界としては最東端である」とし、
1936年 日本陸軍参謀本部陸地測量部で製作した「地図区域一覧表」には日本
領土と朝鮮半島の間にある鬱陵島と独島を一区画でくくり、朝鮮本土所属と表
記した。
このような事実は日帝の朝鮮強占期にも独島が実際上 島根県に所属して
いなかったことを意味し、したがって「独島島根県編入」は完全に虚偽、謀略
であったことを告発している。
その他、独島を朝鮮領と認めて表記した日本の古文献や地図はいくらでも
あげることができる。このように朝鮮側文献と地図はもちろん日本の基本文献
と地図もみな独島の朝鮮領有を認定しており、したがって「昔から日本の領有
権を明白に示している文献または古地図がある」という主張は完全にこじつけ
であり、領土膨張の野望を成し遂げようとする軍国主義者たちの妄言にすぎな
い。
伯耆藩の大谷・村川両家が竹島を幕府から借りて経営したという主張も歴
史の歪曲、捏造である。先に分析したように彼らが「渡海免許状」の発給をう
けた事実が独島を自国領と見なしたり、かれらが独島を幕府から借りて経営し
たという証拠にはなりえないのである。中井がアシカ猟のために大韓帝国から
独島借用の許可を得ようとした事実がそれを物語っている。
日本帝国主義者たちは次に国際法上からみても「日本の固有領土」という
妄説を繰りひろげている。かれらの主張は、国際法上で先占に対する領域確定
が実現されるにはまずその地域が無主地でなければならず、つぎに領域獲得の
国家的意思があり、さらにその意思を対外的に公布すべきであり、加えてその
地域で実効的な占有、経営がなければならないという条項などをあげ、かれら
はこれらの要件をみな実現したが、朝鮮側は占有に対する「国家的意思」やそ
の表明もなく、効果的な経営もないばかりか「平穏で継続的な占有」もなかっ
たというものである。
これもやはり根拠のないこじつけであり、賊反荷杖式の強盗的論理である。
先に何度も強調したが、独島は無人島ではあるが決して無主地ではないし、占
有の国家意思は長期間の「空島政策」期にも倭人に何度も明白に表明したし、
中国でもわが国の文献をとおして知られている。
とくに 1900年、勅令第41号が発表されたことにより朝鮮の独島領有は近
代の慣例に合うよう万国に通告、再確認された。
しかし、日本はどうしただろうか? 軍国主義者たちの破廉恥な主張は主
に独島編入に関する閣議決定と「島根県告示」第40号を念頭においたものだが、
この文書は高宗の勅令第41号が公布された5年後に造作されただけでなく、そ
れすら国内外に公布されなかった。
元来、国際法の要求は、無主地を自国領に編入する際に当然その地と隣接
する国々との事前協議や照会を要望しており、またそのようにするのが慣例で
ある。
『三国通覧図説』に朝鮮と日本および中国東北地方を描いた付録地図を見れば、
竹島(鬱陵島)とその横に小さい島(独島)を明記して朝鮮本土と同じ黄色で
彩色し(日本は対馬と同じ灰色)、その横に「朝鮮のもの」と書いている。こ
れは当時の日本学会でも独島を朝鮮の領土と認定していることを示している。
1876年、日本海軍水路部がロシア艦隊パラダ号が作成した地図を作戦用に
再発行した「朝鮮東海岸図」にも鬱陵島と独島など付属島が詳細に描かれてい
るが、とくに独島は別に絵で描かれた。
1882年、木村が製作した「東国朝鮮国全図」も日本は赤色で表示したが、
竹島(鬱陵島)と松島(独島)は朝鮮本土と同じ薄い灰色で表示してそれらの
島がみな朝鮮領であることを明らかにしている。
日本海軍水路部で 1883年に初めて発刊した『寰瀛水路誌』にも「リアン
コールド岩(独島)」を鬱陵島の属島と明示し、その後、1945年6月に発刊し
た『簡易水路誌』に至るまで何度も発行した水路誌ではみな独島を朝鮮領の構
成部分に記録した(1952年 海上保安庁が発行した「朝鮮半島沿岸水路誌」か
ら独島を日本領に編入)。
特に、ヒケムセッコが 1930年に出した『日本海(朝鮮東海)に位置する
竹島に関する日鮮関係』では「竹島(独島)と鬱陵島は現在 朝鮮の江原道に
所属し日本海のなかにあるが、朝鮮領土の境界としては最東端である」とし、
1936年 日本陸軍参謀本部陸地測量部で製作した「地図区域一覧表」には日本
領土と朝鮮半島の間にある鬱陵島と独島を一区画でくくり、朝鮮本土所属と表
記した。
このような事実は日帝の朝鮮強占期にも独島が実際上 島根県に所属して
いなかったことを意味し、したがって「独島島根県編入」は完全に虚偽、謀略
であったことを告発している。
その他、独島を朝鮮領と認めて表記した日本の古文献や地図はいくらでも
あげることができる。このように朝鮮側文献と地図はもちろん日本の基本文献
と地図もみな独島の朝鮮領有を認定しており、したがって「昔から日本の領有
権を明白に示している文献または古地図がある」という主張は完全にこじつけ
であり、領土膨張の野望を成し遂げようとする軍国主義者たちの妄言にすぎな
い。
伯耆藩の大谷・村川両家が竹島を幕府から借りて経営したという主張も歴
史の歪曲、捏造である。先に分析したように彼らが「渡海免許状」の発給をう
けた事実が独島を自国領と見なしたり、かれらが独島を幕府から借りて経営し
たという証拠にはなりえないのである。中井がアシカ猟のために大韓帝国から
独島借用の許可を得ようとした事実がそれを物語っている。
日本帝国主義者たちは次に国際法上からみても「日本の固有領土」という
妄説を繰りひろげている。かれらの主張は、国際法上で先占に対する領域確定
が実現されるにはまずその地域が無主地でなければならず、つぎに領域獲得の
国家的意思があり、さらにその意思を対外的に公布すべきであり、加えてその
地域で実効的な占有、経営がなければならないという条項などをあげ、かれら
はこれらの要件をみな実現したが、朝鮮側は占有に対する「国家的意思」やそ
の表明もなく、効果的な経営もないばかりか「平穏で継続的な占有」もなかっ
たというものである。
これもやはり根拠のないこじつけであり、賊反荷杖式の強盗的論理である。
先に何度も強調したが、独島は無人島ではあるが決して無主地ではないし、占
有の国家意思は長期間の「空島政策」期にも倭人に何度も明白に表明したし、
中国でもわが国の文献をとおして知られている。
とくに 1900年、勅令第41号が発表されたことにより朝鮮の独島領有は近
代の慣例に合うよう万国に通告、再確認された。
しかし、日本はどうしただろうか? 軍国主義者たちの破廉恥な主張は主
に独島編入に関する閣議決定と「島根県告示」第40号を念頭においたものだが、
この文書は高宗の勅令第41号が公布された5年後に造作されただけでなく、そ
れすら国内外に公布されなかった。
元来、国際法の要求は、無主地を自国領に編入する際に当然その地と隣接
する国々との事前協議や照会を要望しており、またそのようにするのが慣例で
ある。
これは メッセージ 1 (scapin_677tx さん)への返信です.
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