★「竹島」は日本固有の領土です

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

1.「竹島」は日本固有の領土です

投稿者: airline_escourt 投稿日時: 2006/02/11 10:46 投稿番号: [5902 / 9207]
タケシマを歴史的・国際法的な立場から公正に考えると、タケシマは日本の領土であると私は考える。

思うに、タケシマ問題には、次の3つの論点がある。

1.誰が最初に発見し、実効支配をしたか。
2.1905年の日本のタケシマ編入の有効性。
3.戦後のGHQのタケシマ処分。

1.「誰が最初に発見し、実効支配をしたか」について。

国際法上の「無主地の先占の原則」によれば、「無主地」(いかなる国にも属さない地域)は、それを先占する意思を示し実効的に支配すればその国の領土となる。

この点、韓国はタケシマが古来自国の領土であるため無主地には当たらないと主張する。
しかし、韓国は近年に至るまで、タケシマを知らず、韓国はタケシマの実効支配をしていない。

したがって、韓国の主張は誤りである。

最初にタケシマを実効支配したのは日本である。いつタケシマを発見したかは定かではないが、江戸幕府は松島(今のタケシマ)への渡航許可を1656年に出しているので、少なくともそれ以前にタケシマ(旧・松島)は日本の実効支配下に入っていたことを意味する。

2.1905年の日本のタケシマ編入の有効性について

日本は1905年1月28日の閣議において、江戸時代には松島と呼ばれていた島を正式にタケシマと命名し、島根県隠岐島司の所管とすることを決定し、島根県知事は同年2月22日付の島根県告示第40号をもってその内容を公示した。翌年の1906年4月8日、島根県隠岐島の一行が鬱陵島を訪れ、鬱陵郡の郡守・沈興澤に「タケシマが日本領になり、その視察のついでに鬱陵島を訪れた」と告げている。

しかし、韓国は、1905年のタケシマ編入は無効であると主張している。

韓国の国定教科書、中学校『国史』(下)には次のような記述がある。

「我が国を侵略しながら日本は獨島を強奪した。獨島は鬱陵島に付属する島として、鬱陵島が三国時代に新羅の領土に編入して以後、我国の領土とされてきた。朝鮮の太宗時代に流民を防止するため、そこに住む人々を本土に連れ戻して、鬱陵島と獨島の管理が疎かになった。その後、粛宗時代に鬱陵島に出掛けた漁民、安龍福が、不法に侵犯している日本の漁夫を追い払い、日本に渡って我国の領土であることを確認されることがあった。しかし、日本の漁民は密かに鬱陵島の木材を伐採し、魚を獲るなどしばしば侵犯した。だが、日本は露日戦争中に強制によって、日本の領土に編入してしまった。」

では、日本はタケシマを強奪し、強制によって日本の領土に編入したのか?

当時の日本、大韓帝国、ロシアの関係は次の通りである。

1904年02月06日 日露開戦
1904年02月09日 旅順攻撃   日韓議定書   1904.2.23調印
1904年05月01日 鴨緑江渡河作戦
1904年08月10日 黄海海戦
1904年08月14日 蔚山沖海戦
1904年08月07日 旅順総攻撃   第1次日韓協約   1904.8.22調印
1904年08月24日 遼陽会戦
1904年09月19日 旅順総攻撃
1904年10月08日 沙河会戦
1904年12月    203高地奪取
1905年01月12日 旅順陥落
1905年02月20日 奉天会戦    タケシマの編入   1905年2月22日
1905年05月26日 日本海海戦
1905年07月30日 樺太全土を制圧
1905年09月05日 ポーツマス条約調印      第2次日韓協約   1905.11.17調印

1905年2月22日時点の韓国は歴然とした独立国(大韓帝国)であった。第2次日韓協約(日韓保護条約)によって、日本が韓国の外交面を担当するようになったのは、1905年11月17日である。
つまり、1905年2月22日時点において、大韓帝国はタケシマの領土権を主張できる立場にあったのである。
日本はタケシマを強奪し、強制によって日本の領土に編入したのではない。
韓国の国定教科書、中学校『国史』(下)の記述は誤りである。

したがって、1905年の日本のタケシマ編入は有効である。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)