勅令41号にある石島は 2/3
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/04/02 10:57 投稿番号: [3850 / 9207]
石島の発音が似ているから、独島なのか?
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韓国では、石島の石(ソク)の発音が、独島の独(トク)に似ていることから、
石島は現在の独島に違いない、と主張する。
しかし、朝鮮側で今日の竹島を独島と呼称するようになるのは1904年以降である。
それまでは、「リャンコ島」と呼んでいた。
「リャンコ島」という名は、1849年に西洋人として初めて、今日の竹島を発見したフランスの捕鯨船リアンクール号に由来する。
これ以後、竹島は従来の松島に加え、リアンクール島とも呼ばれるようになり、以来、リャンコ島が通称となった。
また、葛生修亮が1901年に脱稿した『韓生通漁指針』(1903年刊)では、
松島(現在の竹島)のことを「韓人及び本邦漁人は、これをリャンコ島と呼んで」いたと記している。
このように、1849年から1904年頃まで、
今日の竹島は、日本でも朝鮮でも「リアンクール島」「リャンコ島」「ヤンコ島」等と呼ばれていた。
そのリャンコ島が韓国側で独島と呼称されるのは、1904年9月25日付の軍艦・新高の日誌に「韓人これを独島と書き、本邦の漁夫等が略してリアンコ島と称する」と記されているように、1904年頃からである。
あくまで、韓国政府が石島を独島と主張するならば、
それまでリャンコ島と呼称していた島を、何故、石島と表記したのか?
それを実証する必要がある。
「勅令41号」が発布される以前、独島がリャンコ島と呼ばれていた歴史的事実を無視して「石」と「独」の発音が近いからと言って、石島を独島とするのは、牽強付会の説である。
いずれにしても、「勅令41号」では、石島は含まれていても、リャンコ島は鬱陵島に含まれていない。
つまり、今日の竹島は、朝鮮側の領域外にあったのである。
今日の竹島が近年に至るまで、朝鮮領として認識されていなかった証拠の一つに、
「勅令41号」が発布される一ヶ月前、1900年9月23日付「『皇城新聞』は、鬱陵島に「付属する小六島の中で、最も顕著な島は、于山島と竹島」と報じた。
そこにはリャンコ島の名は記されていなかった。
今日の竹島が、竹島と呼ばれるようになったのは、その五年後である。
ここにある竹島は、現在の竹島(独島)とは違う事は明らかである。
これは メッセージ 3849 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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