勅令41号にある石島は 1/3
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/04/02 10:54 投稿番号: [3849 / 9207]
Okino:勝手ながらコピペしました
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大韓帝国発布の勅令41号にある石島は竹島(独島)か?
大韓帝国政府が発布した勅令41号について
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鬱陵島への渡海が禁止されたにも拘わらず、鬱陵島へ渡る日本人はあとを絶たず、日朝の雑居問題が深刻になってきた。
1900年(明治33年)4月、大韓帝国政府は、禹用鼎らを鬱陵島に派遣し現地調査をさせている。
6月に提出した報告書では、調査の対象は鬱陵島本島に限られ、現在の竹島には触れられてはいない。
1900年(明治33年)10月25日、この禹用鼎らの報告を受けて、
大韓帝国は勅令41号 「鬱陵島を鬱島と改称し島監を郡守に改正するの件」を発布した。
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鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に改正するの件
第一条
鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、官制に編入し、郡等級は5等にすること
第二条
郡守は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること
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→ 官報にある勅令41号の画像
そして、鬱陵島を「欝島郡」に昇格させ、鬱陵島を鬱島と改称し、その欝島郡の行政区域を鬱陵全島と竹島、石島と定めた。
そして、郡守を常駐させた。
大韓帝国政府の認識では、鬱陵島には竹島と石島という二つの属島があったことになる。
しかし、この「勅令41号」には、属島の緯度や経度までは明記されていない。
故に、竹島と石島が実際にどこの島を指すのか?
その正確さを欠いていた。
今日の竹島は、当時はまだ竹島と呼ばれていない。
古くは松島、そのころでは日朝ともにリャンコ島と呼んでいた。
それ故に、「勅令41号」にある竹島は、李奎遠の調査でも「竹島」とされた鬱陵島の北東に位置する竹嶼と思われるが、石島はどこを指すのか判然としない。
1953年韓国による竹島の武力占拠による領土問題が発生すると、この「勅令41号」が注目される事になった。
しかし、勅令41号には石島の位置が明記されていない。
石島が竹島であったとする実証も為されていない。
韓国では、この「勅令41号」に依拠して、勅令中の石島を独島(竹島)と解釈しながら、その5年後の島根県に編入した行為を帝国主義的侵略行為と反論する事になった
韓国では、石島の石(ソク)の発音が、独島の独(トク)に近いことから、石島は現在の独島に違いない、と言いだした。
しかし、その主張は石島が現在の竹島(独島)であったという前提に基づいての立論であり、明治政府が竹島を強奪した証拠とはならない。
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大韓帝国発布の勅令41号にある石島は竹島(独島)か?
大韓帝国政府が発布した勅令41号について
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鬱陵島への渡海が禁止されたにも拘わらず、鬱陵島へ渡る日本人はあとを絶たず、日朝の雑居問題が深刻になってきた。
1900年(明治33年)4月、大韓帝国政府は、禹用鼎らを鬱陵島に派遣し現地調査をさせている。
6月に提出した報告書では、調査の対象は鬱陵島本島に限られ、現在の竹島には触れられてはいない。
1900年(明治33年)10月25日、この禹用鼎らの報告を受けて、
大韓帝国は勅令41号 「鬱陵島を鬱島と改称し島監を郡守に改正するの件」を発布した。
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鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に改正するの件
第一条
鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、官制に編入し、郡等級は5等にすること
第二条
郡守は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること
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→ 官報にある勅令41号の画像
そして、鬱陵島を「欝島郡」に昇格させ、鬱陵島を鬱島と改称し、その欝島郡の行政区域を鬱陵全島と竹島、石島と定めた。
そして、郡守を常駐させた。
大韓帝国政府の認識では、鬱陵島には竹島と石島という二つの属島があったことになる。
しかし、この「勅令41号」には、属島の緯度や経度までは明記されていない。
故に、竹島と石島が実際にどこの島を指すのか?
その正確さを欠いていた。
今日の竹島は、当時はまだ竹島と呼ばれていない。
古くは松島、そのころでは日朝ともにリャンコ島と呼んでいた。
それ故に、「勅令41号」にある竹島は、李奎遠の調査でも「竹島」とされた鬱陵島の北東に位置する竹嶼と思われるが、石島はどこを指すのか判然としない。
1953年韓国による竹島の武力占拠による領土問題が発生すると、この「勅令41号」が注目される事になった。
しかし、勅令41号には石島の位置が明記されていない。
石島が竹島であったとする実証も為されていない。
韓国では、この「勅令41号」に依拠して、勅令中の石島を独島(竹島)と解釈しながら、その5年後の島根県に編入した行為を帝国主義的侵略行為と反論する事になった
韓国では、石島の石(ソク)の発音が、独島の独(トク)に近いことから、石島は現在の独島に違いない、と言いだした。
しかし、その主張は石島が現在の竹島(独島)であったという前提に基づいての立論であり、明治政府が竹島を強奪した証拠とはならない。
これは メッセージ 1 (scapin_677tx さん)への返信です.
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