大田黒さんの誤り Ⅱ
投稿者: theme_from_papillon 投稿日時: 2003/07/14 23:49 投稿番号: [1683 / 17759]
>知っていて、なぜ、あのような主張になる?
> アメリカがソ連参戦を求めたにも関わらず、
> ソ連を封じ込めるために原爆を使用したのか?
君はそういうことを mild7superlights2000 さんにも言ってたみたいだが、何も気付かないのかな?
君はソ連の対日参戦が1945年2月のヤルタ協定でルーズベルトとスターリンによって決められていたと述べている。
そして、原爆投下のときの米国大統領がトルーマンであったことも知っているようだ。
もちろん、ドイツが1945年5月に降伏したことも知ってるだろう。
ならば、ヤルタ協定と、ソ連が対日参戦するまえに日本を降伏させたいというトルーマン大統領の回顧録の内容との
間に何が起こったか推測するのはたやすいことではないか。
ドイツが降伏してから原爆が投下されるまでの間に、ソ連は共産主義の拡張を露骨に示すようになったのだろう。
下記のHPでは、そんなことは常識でわかるだろうと著者が思ってるためか、下記のような書き方になってるよ。
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アメリカ大統領トルーマンがネバダでの原爆実験成功を知ったのは、七月十五日(一九四五年)に始まるポッダム会談に向う大西洋上で、その時、日本を早期に降伏させるためには原爆使用も止むを得ないとの決断を下したのだという。この年二月のヤルタ会談で、イギリスの首相チャーチルとアメリカ大統領のルーズベルトは、渋るソ連のスターリンを説得して、ドイツ降伏後三ヶ月以内に対日参戦することを約束させている。ドイツは五月八日降伏し、ソ連は八月八日までに極東で軍事行動を起すことはすでに日程にのぼっている。共産主義の侵蝕を極度に嫌う米英にとっては、ソ連参戦以前に対日戦を終らせるのが、戦後処理のためには理想的となる。けれども無条件降伏を勧告する七月二十六日のポッダム宣言を、日本政府は同月二十八日黙殺している。天皇制が維持できるかどうか、はっきりしなかったからという。
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ある見方によれば、日本政府がポッダム宣言の受諾をきめた決定的な要素は、ヒロシマ、ナガサキの廃墟ではなく、ソ連の参戦と満州、北方領土への快進撃だったようである。最後まで国体護持の条件付きに拘っていたようだが、赤軍ソ連の南下が我が国本土にまで及び、天皇制日本に赤化革命の勃発する危険のほうが重大視されたのだという。
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もちろん、ヤルタ協定以降のソ連の共産主義拡張について書いてあるHPもあるようだがね。
トルーマン大統領の回顧録をインターネットで捜そうとしたときに見かけたよ。君も捜してみたら?
トルーマン大統領の回顧録は捜せなかった。
これは、旺文社の 「世界史」 吉岡力 著 に載っていたが、この参考書は私が高校時代、最も分厚いもので
大切にとっておいたのだが、引っ越したときに失くしたようだ。
原爆投下までのソ連軍の動きを日付入りで克明に書いてあり、あせりから決断に至るまでの心境が語られていた。
私は、どのような意図で原爆を投下したのかについては、はっきりしたことは言えない。
下記のとおりの見解だ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20&sid=1143582&mid=1631
mild7superlights2000 さんが詳しいようだから尋ねてみれば?
相手にしてくださるかどうか知らないが。
> アメリカがソ連参戦を求めたにも関わらず、
> ソ連を封じ込めるために原爆を使用したのか?
君はそういうことを mild7superlights2000 さんにも言ってたみたいだが、何も気付かないのかな?
君はソ連の対日参戦が1945年2月のヤルタ協定でルーズベルトとスターリンによって決められていたと述べている。
そして、原爆投下のときの米国大統領がトルーマンであったことも知っているようだ。
もちろん、ドイツが1945年5月に降伏したことも知ってるだろう。
ならば、ヤルタ協定と、ソ連が対日参戦するまえに日本を降伏させたいというトルーマン大統領の回顧録の内容との
間に何が起こったか推測するのはたやすいことではないか。
ドイツが降伏してから原爆が投下されるまでの間に、ソ連は共産主義の拡張を露骨に示すようになったのだろう。
下記のHPでは、そんなことは常識でわかるだろうと著者が思ってるためか、下記のような書き方になってるよ。
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アメリカ大統領トルーマンがネバダでの原爆実験成功を知ったのは、七月十五日(一九四五年)に始まるポッダム会談に向う大西洋上で、その時、日本を早期に降伏させるためには原爆使用も止むを得ないとの決断を下したのだという。この年二月のヤルタ会談で、イギリスの首相チャーチルとアメリカ大統領のルーズベルトは、渋るソ連のスターリンを説得して、ドイツ降伏後三ヶ月以内に対日参戦することを約束させている。ドイツは五月八日降伏し、ソ連は八月八日までに極東で軍事行動を起すことはすでに日程にのぼっている。共産主義の侵蝕を極度に嫌う米英にとっては、ソ連参戦以前に対日戦を終らせるのが、戦後処理のためには理想的となる。けれども無条件降伏を勧告する七月二十六日のポッダム宣言を、日本政府は同月二十八日黙殺している。天皇制が維持できるかどうか、はっきりしなかったからという。
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ある見方によれば、日本政府がポッダム宣言の受諾をきめた決定的な要素は、ヒロシマ、ナガサキの廃墟ではなく、ソ連の参戦と満州、北方領土への快進撃だったようである。最後まで国体護持の条件付きに拘っていたようだが、赤軍ソ連の南下が我が国本土にまで及び、天皇制日本に赤化革命の勃発する危険のほうが重大視されたのだという。
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もちろん、ヤルタ協定以降のソ連の共産主義拡張について書いてあるHPもあるようだがね。
トルーマン大統領の回顧録をインターネットで捜そうとしたときに見かけたよ。君も捜してみたら?
トルーマン大統領の回顧録は捜せなかった。
これは、旺文社の 「世界史」 吉岡力 著 に載っていたが、この参考書は私が高校時代、最も分厚いもので
大切にとっておいたのだが、引っ越したときに失くしたようだ。
原爆投下までのソ連軍の動きを日付入りで克明に書いてあり、あせりから決断に至るまでの心境が語られていた。
私は、どのような意図で原爆を投下したのかについては、はっきりしたことは言えない。
下記のとおりの見解だ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=a1hjbfoba5dca51a1ia4na4aait20&sid=1143582&mid=1631
mild7superlights2000 さんが詳しいようだから尋ねてみれば?
相手にしてくださるかどうか知らないが。
これは メッセージ 1637 (T_Ohtaguro さん)への返信です.
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