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天皇の君権

投稿者: latter_autumn 投稿日時: 2005/07/15 20:44 投稿番号: [11048 / 17759]
>明治期の主権者は天皇だから協賛するのは当然のことでしょう。
>天皇の勅令は議会閉会時の緊急非難措置であり、後に議会が覆すこと
>が出来ました。

議会が勅令を覆すことは、協賛に反することであり、不可能であった。
議会が勅令を覆せる、と主張した天皇機関説は、公式に否認された。

>枢密院が却下するというのは意味不明です。枢密院は天皇に上奏する
>立場でしょう?
>また、越権はありましたが内閣の施政に対する干渉は禁じられていま
>したよ。

議会や内閣よりも「格上」の枢密院が「反対」の旨を天皇に上奏した場合、その事案は却下となる。
議会や内閣には、枢密院の反対を押し切る力はなかった。

>明治期において、国務=薩長閥、議会=政党を区分し、薩長閥が実権
>を握り続ける為のシステムだったんですよ。
>もともと天皇の意に添う為のシステムではないし、常に元老や国務大臣
>が天皇を拘束していたんです。

輔弼と拘束は異なる。
輔弼とは、要するに、天皇の意に沿って所掌の国務を処理することである。
国務大臣の意見が対立した場合、天皇が支持した方が通ったのである。
例えば統帥権独立について、山縣有朋は賛成し伊藤博文は反対したが、明治天皇の支持を得た山縣の主張が通った。

>張作霖爆殺で煮え切らない田中義一を叱責しても、田中が辞職しただけ
>で結局うやむやで終わりましたよね。

田中義一首相は真相公表と犯人厳罰を主張したが、白川義則陸相は反対し真相隠蔽を主張した。
昭和天皇の支持を得た白川の主張が通った。
田中は「無責任な発言をした」と昭和天皇に咎められ辞任に追い込まれた。

>いかに天皇の干渉が異例なものだったかは、それでも分かると思います
>が、天皇はそれに懲りて意見が合わなくても輔弼に従うようにしたと
>言っています。

「意見が合わなくても輔弼に従うようにした」というのは、史実に反する。

2.26事件では、叛乱将校への寛大な処置を進言した川島陸相の輔弼を退けた。

1938年には、第1次近衛改造内閣で、宇垣一成外相の輔弼を退けた。
(宇垣は、蒋介石との直接和解による日中戦争早期解決を主張し、また中国問題を外務省から取上げて新設の興亜院の所掌とすることに反対していた。)
(これに対し板垣征四郎陸相が反対したが、昭和天皇は板垣を支持した。)

1941年には、第3次近衛内閣で、日米開戦に賛成した東條陸相を支持し、反対した近衛首相の輔弼を退けた。

1942年には、東條内閣で、興亜院を大東亜省に改組する(「大東亜共栄圏」の問題を外務省から取上げる)ことに賛成した東條首相を支持し、反対した東郷茂徳外相の輔弼を退けた。

1944年には、小磯国昭内閣で、対中和平工作(繆斌工作)に反対した重光葵外相を支持し、賛成した小磯首相の輔弼を退けた。

>事実、近衛は右寄りだからと嫌い、宇垣を指しては「ああいう人は総理
>になるべきでない」と言ってますが、二人とも総理になってますね。

宇垣は総理になっていない。
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