> 「日本の立憲君主制」
投稿者: nita2 投稿日時: 2005/07/11 21:59 投稿番号: [11013 / 17759]
>議会の立法権は、天皇の統治権に協賛するためのものであり、天皇に協賛しないという可能性は
>初めから排除されていた。
>天皇は、議会を通過した法案を枢密院に却下させることもできたし、議会の立法権と無関係に勅
>令を出すこともできた。
明治期の主権者は天皇だから協賛するのは当然のことでしょう。
国民主権の現在、国民に背く立法が不可能なのと同じことですよ。
枢密院が却下するというのは意味不明です。枢密院は天皇に上奏する立場でしょう?
また、越権はありましたが内閣の施政に対する干渉は禁じられていましたよ。
後、天皇の勅令は議会閉会時の緊急非難措置であり、後に議会が覆すことが出来ました。
>天皇は国務大臣を自由に任免できたし、天皇の意に沿わない者は排除された。
>国務大臣が天皇を拘束したことは全くなかった。
明治期において、国務=薩長閥、議会=政党を区分し、薩長閥が実権を握り続ける為のシステムだったんですよ。
もともと天皇の意に添う為のシステムではないし、常に元老や国務大臣が天皇を拘束していたんです。
さて、張作霖爆殺で煮え切らない田中義一を叱責しても、田中が辞職しただけで結局うやむやで終わりましたよね。
で、その後、田中の辞職は宮中の陰謀だという説が乱れ飛びました。
いかに天皇の干渉が異例なものだったかは、それでも分かると思いますが、天皇はそれに懲りて意見が合わなくても輔弼に従うようにしたと言っています。
事実、近衛は右寄りだからと嫌い、宇垣を指しては「ああいう人は総理になるべきでない」と言ってますが、二人とも総理になってますね。
>軍令を出すのも天皇であり、天皇が承認しなければ軍は何もできない。
>満州事変では、昭和天皇は侵攻作戦をほとんど事後承認して戦火を拡大させ、関東軍の暴走による
>軍紀違反を咎めなかった(2.26事件の軍紀違反に対する姿勢とは全く違っていた)。
陣中の命令も軍令ですから軍令の殆どは天皇の承認を得ずに発令されます。
南京攻撃のような大きな軍令でも天皇には、南京を攻撃することも考慮していますと伝えただけで承認を得ずに発令されています。
2.26事件を見ても天皇の勅命は徹底的に無視されて、無断で軍令が発せられています。
たとえば、香椎は勝手に叛乱部隊に占拠地域の警備を命じ、食料まで提供しています。
つまり、一時的にせよ独断で叛乱部隊を官軍にしているんですよ。
満州事変も同じことで勅命は待機であったのを勝手に侵攻していきましたね。
どちらも統帥権が干犯されたということですし、当時天皇が如何に軽んじられていたかよく分かるでしょう?
でありながら、天皇の事後承認(具体的に何を指すのかは分からない)が戦火を拡大させたというのは無理がありますね。
何れにせよ、軍令は軍政ではないので、交戦法に違反しない限り戦争責任は問えません。
さて、当時の憲法に基づいた天皇の行為は、現在の基準に合わなくても何ら不正なものではありません。
天皇がその制度を用いてどのように戦争に関与し責任を負うべきなのかが問題なんでしょう?
>初めから排除されていた。
>天皇は、議会を通過した法案を枢密院に却下させることもできたし、議会の立法権と無関係に勅
>令を出すこともできた。
明治期の主権者は天皇だから協賛するのは当然のことでしょう。
国民主権の現在、国民に背く立法が不可能なのと同じことですよ。
枢密院が却下するというのは意味不明です。枢密院は天皇に上奏する立場でしょう?
また、越権はありましたが内閣の施政に対する干渉は禁じられていましたよ。
後、天皇の勅令は議会閉会時の緊急非難措置であり、後に議会が覆すことが出来ました。
>天皇は国務大臣を自由に任免できたし、天皇の意に沿わない者は排除された。
>国務大臣が天皇を拘束したことは全くなかった。
明治期において、国務=薩長閥、議会=政党を区分し、薩長閥が実権を握り続ける為のシステムだったんですよ。
もともと天皇の意に添う為のシステムではないし、常に元老や国務大臣が天皇を拘束していたんです。
さて、張作霖爆殺で煮え切らない田中義一を叱責しても、田中が辞職しただけで結局うやむやで終わりましたよね。
で、その後、田中の辞職は宮中の陰謀だという説が乱れ飛びました。
いかに天皇の干渉が異例なものだったかは、それでも分かると思いますが、天皇はそれに懲りて意見が合わなくても輔弼に従うようにしたと言っています。
事実、近衛は右寄りだからと嫌い、宇垣を指しては「ああいう人は総理になるべきでない」と言ってますが、二人とも総理になってますね。
>軍令を出すのも天皇であり、天皇が承認しなければ軍は何もできない。
>満州事変では、昭和天皇は侵攻作戦をほとんど事後承認して戦火を拡大させ、関東軍の暴走による
>軍紀違反を咎めなかった(2.26事件の軍紀違反に対する姿勢とは全く違っていた)。
陣中の命令も軍令ですから軍令の殆どは天皇の承認を得ずに発令されます。
南京攻撃のような大きな軍令でも天皇には、南京を攻撃することも考慮していますと伝えただけで承認を得ずに発令されています。
2.26事件を見ても天皇の勅命は徹底的に無視されて、無断で軍令が発せられています。
たとえば、香椎は勝手に叛乱部隊に占拠地域の警備を命じ、食料まで提供しています。
つまり、一時的にせよ独断で叛乱部隊を官軍にしているんですよ。
満州事変も同じことで勅命は待機であったのを勝手に侵攻していきましたね。
どちらも統帥権が干犯されたということですし、当時天皇が如何に軽んじられていたかよく分かるでしょう?
でありながら、天皇の事後承認(具体的に何を指すのかは分からない)が戦火を拡大させたというのは無理がありますね。
何れにせよ、軍令は軍政ではないので、交戦法に違反しない限り戦争責任は問えません。
さて、当時の憲法に基づいた天皇の行為は、現在の基準に合わなくても何ら不正なものではありません。
天皇がその制度を用いてどのように戦争に関与し責任を負うべきなのかが問題なんでしょう?
これは メッセージ 11007 (latter_autumn さん)への返信です.
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