“平和ボケ”のお部屋

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>2.26事件

投稿者: nita2 投稿日時: 2005/07/11 21:56 投稿番号: [11012 / 17759]
>真崎は「参謀会議」など開催できない。

御免、参謀会議じゃなくて軍事参議官会議。

>真崎ら軍事参議官の会議は、省部の決定に有力な影響を及ぼさなかった。

影響も何も荒木と真崎は軍事参議官会議の席上、「陸軍大臣告示」を纏め川島陸相の承認を受けたのです。
ちなみにこの会議は天皇の諮問がないので本来は開けない会議だし、後の告示も天皇に無断で行ったもの。
だから、天皇が何の危機感を持たなかったとは到底、考えられないんですよ。


>かつて本庄の部下で本庄に恩義を感じていた石原莞爾は、叛乱部隊に加担していた
>本庄の娘婿であった山口一太郎を何とか助けようと、表で荒木や真崎らと対決する
>素振りを見せながら裏で工作を行い鎮圧を遅らせた。)

石原には伝説が多いし、それに伴って逆説も多いですね。
だから特に反論はしませんが、一般には香椎に懇願する山口一太郎にかまわず石原が鎮圧を布告させたってことになってますね。
まあ、石原がどうあれ荒木、真崎、川島に対抗して参謀本部が鎮圧に動いたということは否定できないと思います。
で、石原と共に鎮圧の立役者とされる杉山参謀次長も軍事参議官会議に出て当初は荒木、真崎に丸め込まれています。
そんな状況で石原以外の誰が鎮圧に動き成し遂げさせたというのですか?


>「国家社会主義的な革新」は、北一輝ら一部の民間右翼の主張である。
>統制派が民間右翼に警戒的であったのに対して皇道派は民間右翼に親和的であったが、
>荒木や真崎がそのような「革新」の思想的リーダーシップを発揮していた訳ではない。

上層部の思想は違っていたという論旨に対して、上層部も思想を共有していたと言ったのであって誰も思想的なリーダーシップを発揮したとは言ってませんよ。
で、荒木はその思想から国家社会主義的な革新を具現する為政者と目されていたのであって、北一輝も西田税も2.26事件の5年前の十月事件の時点では既に首班として荒木を想定していたんですよ。

>さよう、近衛は皇道派よりであったが、近衛も特に反財閥的な姿勢ではなかった。
>皇道派の上層部と下っ端では、結局同床異夢だったのである。
>2.26事件後の陸軍部内の実権には、皇道派も近衛も全く触れることができなかった。

実権も何も、2.26事件以後、皇道派は荒木、真崎、香椎は予備役編入、小畑は退役といった具合で、事件の最中に寝返った山下奉文は左遷されただけだったけど他はほとんどが追放されたんですよ。
で、2.26事件後、軍権は一時縮小するけれどすぐに盛り返し政権を巡る争いなっていくんですよ。
先ず、寺内、梅津、杉山の新統制派が、広田を辞職に追い込み、宇垣の首班指名を導きますが、石原に潰され実現しません。
で、石原主導で林内閣が成立しますが、今度は梅津により石原派の入閣は阻止されます。
で、その次が近衛内閣で荒木は復権します。また、適いませんでしたが、近衛は2.26事件や血盟団事件などの受刑者に恩赦を与えようともします。
また、近衛は北一輝に傾倒していましたし、三井の団琢磨や井上準之助を暗殺した血盟団と深く係わっていて、出所後の井上日召を自分の別荘に住まわせていました。血盟団も北一輝の日本改造法案大綱をテーゼにしていたグループです。
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