2.26事件
投稿者: latter_autumn 投稿日時: 2005/07/10 20:29 投稿番号: [11006 / 17759]
>首謀者は真崎です。叛乱将校の決起の後は真崎が参謀会議をまとめて荒木
>を担いで維新を回転させる手はずだったってことです。
真崎は「参謀会議」など開催できない。
陸軍省の会議は、川島義之陸相や古庄幹郎次官の所掌。
参謀本部の会議は、閑院宮載仁親王総長や杉山元次長の所掌。
この4人とも襲撃されず無傷だったのから、真崎や荒木の「仕切る」余地はなかった。
(事件当時4人の中で皇道派よりだったのは、川島陸相だけ。)
真崎ら軍事参議官の会議は、省部の決定に有力な影響を及ぼさなかった。
>決起の後、先ず真崎が川島陸相を天皇に差し向けて青年将校の要求を伝え
>ようとしたんですけど適わず、逆に鎮圧を命じられます。荒木、真崎の
>策謀によりその勅命は無視され、叛乱将校を是認するかの陸軍大臣告示が
>出され、皇道派による戒厳令の施行となる。
川島陸相の他、香椎浩平戒厳軍司令官や本庄繁侍従武官長らも叛乱部隊に同情的だった。
(かつて本庄の部下で本庄に恩義を感じていた石原莞爾は、叛乱部隊に加担していた本庄の娘婿であった山口一太郎を何とか助けようと、表で荒木や真崎らと対決する素振りを見せながら裏で工作を行い鎮圧を遅らせた。)
しかし計画が昭和天皇の賛同を得られず失敗したのに、誰も昭和天皇を無理矢理拘束したりすることはできなかった。
>皇道派は荒木の国家社会主義的な革新に賛同した人達の集まりだから必然
>的に反財閥、反腐敗の色合いが濃かった。
「国家社会主義的な革新」は、北一輝ら一部の民間右翼の主張である。
統制派が民間右翼に警戒的であったのに対して皇道派は民間右翼に親和的であったが、荒木や真崎がそのような「革新」の思想的リーダーシップを発揮していた訳ではない。
実際荒木は陸相にまでなったが、反財閥的な姿勢を貫くことはなかった。
(実際、皇国国策基本要綱は採択されずに廃案となったが、荒木は抵抗しなかった。)
>近衛文麿は皇道派ですよ。
さよう、近衛は皇道派よりであったが、近衛も特に反財閥的な姿勢ではなかった。
皇道派の上層部と下っ端では、結局同床異夢だったのである。
2.26事件後の陸軍部内の実権には、皇道派も近衛も全く触れることができなかった。
これは メッセージ 10968 (nita2 さん)への返信です.
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