“平和ボケ”のお部屋

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latter_autumさんは

投稿者: nita2 投稿日時: 2005/07/07 19:15 投稿番号: [10968 / 17759]
よほど昭和天皇がお嫌いなようですね。

>>少なくとも天皇がダメなら秩父宮を擁立するくらいの伏線は張って
>>いたと思いますよ。
>>皇位簒奪のきな臭ささ

>そんなものはなかった。
>2.26事件の叛乱将校は、皇道派よりの陸軍上層部による「善処(「昭和維新」に対
>する昭和天皇の賛同を得る)」を要求するだけで、それが失敗した時のことはろく
>に考えていなかった。

叛乱将校は実働隊であって首謀者は真崎です。
叛乱将校の決起の後は真崎が参謀会議をまとめて荒木を担いで維新を回転させる手はずだったってことです。
で、決起の後、先ず真崎が川島陸相を天皇に差し向けて青年将校の要求を伝えようとしたんですけど適わず、逆に鎮圧を命じられます。
荒木、真崎の策謀によりその勅命は無視され、叛乱将校を是認するかの陸軍大臣告示が出され、皇道派による戒厳令の施行となる。そんな中、秩父宮が上京し宮城に入る。
業を煮やした天皇が自ら近衛兵を率いて鎮圧するとまで言ったのは、そういう状況からですよ。

>皇道派の少壮将校(貧乏な家庭の者が少なくなかった)は財界よりの政策に反発
>していたが、皇道派の上層部連中は必ずしもそうでもなかった。

荒木がまとめた「皇国国策基本要綱」には農村、漁村の救済策が盛り込まれていたし、真崎は給与の大半を貧しい将兵に分け与えていましたね。
さて、荒木が小畑を優遇し偏向人事を行ったので荒木、小畑閥が生まれた。それが皇道派です。
で、小畑の盟友だった永田の下に反皇道派が結集したのが統制派。(東條は永田の腰巾着)
もともと両派は同根だけど、皇道派は荒木の国家社会主義的な革新に賛同した人達の集まりだから必然的に反財閥、反腐敗の色合いが濃かった。

>2.26事件後は、東條や梅津ら統制派が完全に陸軍部内の実権を握り、軍人による国内テロ
>のような暴走・不祥事は鎮静化した。

近衛文麿は皇道派ですよ。2.26事件後も荒木を文部大臣にしたり、小畑を無任所大臣にしたりしてますね。
テロがなくなったのは2.26事件の翌年には日華事変勃発で戦時下に入っていったからでしょう。

>戦線を拡大させたのは、名実共に日本の最高指導者であった昭和天皇である。

日本の立憲君主制については立法権は議会にあったし、行政は国務大臣が天皇を輔弼するというのが当時の憲法の規定であり、それが天皇をも拘束しているから「立憲君主制」なんですよ。
輔弼ってのは天皇の代わりに国務を行い責任の一切を負うということです。
それに対し、軍が持ち出してきたのが統帥権ですが戦闘命令である軍令は国務ではないからと政府の干渉を排除して、軍令部総長が天皇を補佐し直接実行するとした訳です。
でも、戦争は軍政であり、国務ですから統帥権の干犯にあたらない。
そこで、謀略により突発的な武力衝突を演出することで、軍令をもって戦線を拡大していったんです。
それが軍の暴走なんですが、突発的な武力衝突で事前に天皇の裁可を仰ぐことは有り得ませんよね。
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