松井大将 赤子を拾う
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/10/04 18:36 投稿番号: [991 / 2250]
早瀬利之著
『将軍の真実
南京事件
松井石根人物伝』
134〜136p
《 松井石根方面軍司令官は、十五日午後一時、蘇州を発った。
蘇州飛行場から句容飛行場に飛び、そこから自動車で湯水鎮の方面軍司令部に移動した。
着いたのは夕方の四時だった。
南京攻撃の日から十四日まで、松井は肺炎を併発する寸前の重態だった。
高熱と悪寒に苦しんでいる。作戦命令は病床から冷静に命令、伝達した。
当初、湯水鎮への移動は十四日を予定していたが、軍医に止められて一日延期となった。
蘇州にいる間、司令部には、天皇より参謀総長を経て、
南京攻略に関しての御語が届けられた。
「中支那方面軍の陸海軍の諸部隊が上海付近の作戦に引き続き、
勇猛果敢なる追撃を行ない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う、
この旨将兵に申し伝えよ」
松井は読み終えると、塚田攻参謀長に手渡した。
松井も幕僚たち全員も、感あまって、ついにうれし泣きした。
天皇の御語はただちに塚田から全軍に伝達された。
派遣軍司令部から各師団へ、師団から旅団へ、旅団から連隊。
その間、松井はただちに天皇への奉答の辞を書き、電送させた。
湯水鎮への移動はそのあとのことで、松井は、ひとつの区切りもあり、
いくらか気分も回復していた。
この湯水鎮は温泉が湧くので有名である。
蒋介石はここに別荘をもっていたが、行ってみると戦災で焼失して跡かたもない。
松井は、久しぶりに、幕僚たちといっしょに入浴した。
「一同、久しぶりに入浴して気分を好くす」
と、松井は十六日の日記に書いている。
いくらか、この日は体力をもち直していた。
宿舎に戻ったころである。松井や副官の角良晴、それに通訳の岡田尚らは、
深夜、外で赤子の泣き声を聞いて眼をさました。
岡田が外に出て見ると、焼け跡に女の赤子があった。
岡田と当番兵の二人が拾い上げ、温泉で赤子を洗った。
そのあと毛布にくるみ、松井のところに見せに行く。松井も赤子を抱き上げた。
「なんと、むざんなことを」
と思った。思わず涙がぽろぽろと落ちた。
岡田がふと、「松井閣下の松をとって、松子と名づけたい」
というと、
「よし、岡田、この子を連れて、南京に行くぞ。お前、面倒見てやれ」
松井が岡田に命じた。南京近くまでは松井が赤子を背負って行ったともいわれる。
のちに、松子は東亜倶楽部の職員、鳥井氏の養女として育てられたが、
幼稚園に行くころ病没した。
これは メッセージ 986 (kireigotowadame さん)への返信です.
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